ひまわり part.3


ジェットは水平飛行に移ろうとしている。
すでに窓の外に街は見えない。
青い空と海と、そして少しの雲と。
それだけが窓から見える。

胸ポケットをさぐり、カナダの住所を確認する。
もう何度目になるだろう。

あの日から、ちょうど3年が過ぎようとしていた。

家を出るとき、門のところで思いついて振り返った。
玄関先のひまわりは、
いつもの夏とおなじように咲いている。

あの日、彩乃の目には、
この景色がどんなふうに映っていたのだろうか。

その答えを知る為に、
俺はカナダの彩乃のもとへ向かおうとしている。

オレはあの日から、週に一回ずつメールを出していた。
欠かすことなく。3年間。ずっと。
そして一度も返信されたことはなかった。

答えのないメールを出すうちに、
いつかおれは自分自身を見つめるようになっていった。

ある日、思いつきのように頭をかすめるものに気づく。
おれが彩乃を好きだという感情。
ばかげた妄想だと思った。
年も離れ、妹のように思っていた彩乃を? おれが?

もしかしたら、襲い掛かった自分を正当化するため?
そうだとしたら、くだらない防衛本能に思えた。

しかし、そうではないと訴えるものが、
いつまでも脳裏から去ろうとはしなかった。
考えつづけていた。ずっと。

そして今、おれはその答えを確かめようとしている。

シートベルトの着用サインが消え、
ドリンクのサービスが始まる。
なごやかに微笑む女性からソフトドリンクを受け取る。

はるか昔、
初めて彩乃と会った日のことを思い出す……

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その日、町内バザーの後処理のために、
彩乃の母親は高村家を訪れていた。

「あらあら、お嬢ちゃんも一緒? お名前は?」
母親のかげに隠れるようにしていた彩乃に気づき、
話し掛ける。

「あやの」
「いいお名前ね。あやのちゃんはいくつ?」
「よんさいだよ」
「はい、よく言えました。
 あ、どうぞどうぞ、あがって、二人とも」

ダイニングの椅子に座る。
小学校3年の浩史もそこにいた。

「う〜ん。やっぱり女の子って、いいわね」
「そう?」
「今からでも欲しいぐらい。
 なんだか男の子だけって、
 家の中が結構殺伐になっちゃって」
「うちは、パパが寂しそう。
 女の子相手じゃ野球もサッカーもできないって」
「それぞれか〜 あ、愚痴言ってる場合じゃなくて」

「浩史〜
 悪いんだけど、彩乃ちゃんと遊んでてくれる?
 二人で大事な話があるから。お願いね」
「うん、いいよ」
「いいの? 悪いわ」
「大丈夫。けっこう面倒見いいのよ、このコ」
「ほんとに? じゃあお願いしちゃおうか」
「彩乃? お兄ちゃんの言うこと聞いて、
いいコにしてるんですよ」
「うん」

彩乃は浩史に手を引かれ、リビングに来た。

「オレ、ひろし。あやのちゃん… だよね」
「……うん」
はじまりはぎごちなかった。

しかし、すぐに浩史と彩乃はうちとけて遊び始めていた。
人見知りのはげしい彩乃が、
特に浩史を怖がる様子も見せない。

「大丈夫そうね」
「ね? 言ったとおりでしょ?」
安心した二人は、目の前の書類の山に没頭する。
耳には時折、子供たちの話す声が聞こえる。

だいたいのところを書き終えて二人が顔を上げたとき、
小さな笑い声が聞こえた。
リビングでは彩乃がクスクス笑いながら浩史を見ている。
「そんなのヘンだよ〜 お兄ちゃん」
「いや、そんなことはないぞ。俺は嘘だけは言わない」
「ほんとに?」
「ほんとさ。神に誓ってもいい…」

「なんか… 兄妹みたいね、あの二人」
「えぇ、ほんとに」
母親たちは、子供らのおりなす光景を、
微笑みながら見つめていた。

「あ、いけない、もうこんな時間!」
「ほんとだ、旦那帰ってきちゃう」
「じゃ続きはまたこんどやりましょうか?」
「そうね。彩乃! 帰りますよ」

「ばいば〜い、お兄ちゃん」
「またな〜、彩乃」


数日後、再び高村家に彩乃は母親と一緒に訪れる。
当初彩乃の母親は、迷惑を考え、
彩乃を連れて行かないつもりだった。
しかし彩乃はだだをこねた。
「お兄ちゃんのとこに行く。彩乃行く!」
泣きながら訴えるのをみて、
仕方なく一緒に連れて行くことになった。

「そういうわけなのよ〜、ごめんね」
「えらく気に入られちゃったのね、うちのヒロシ。
 もてもてか〜 ガキの癖にいっちょまえに」

「あ、お兄ちゃん」
彩乃が見やる方向には、いつのまにか浩史が立っていた。
声に気づいてこちらに来たようだ。

「彩乃、来てたのか」
「うん」
「そうか」
「お兄ちゃん、お話しして。
この間みたいにすごーくおもしろいお話」
「じゃあこの間とちょっと違う話な?
 すこーし怖いんだけど、聞きたいか?
 彩乃、おしっこ、ちびっちゃうかもしれないぞ?」
「大丈夫! 聞きたい。ね、話して」

「なんか…」
「二人の世界というか…」
母親二人は顔を見合わせてあと、楽しそうに遊ぶ二人を、
しばらく見つめていた。

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空港に着いた。
ローカル空港はひとの姿もまばらだった。
ターミナルの外に出る。
陽射しは強いが、夏の終わりを感じる風が吹いていた。

タクシーに住所を見せる。

しばらく閑静な住宅街を走った。
スプリンクラーが芝生に水を撒いている光景が続く。
一軒の家の前で、車は止まった。

メールで行くことは伝えてあった。
時間も。
返事は当然のようになかった。
それでも来た。来るしかなかった。

ドアの呼び鈴を鳴らす。
しばらくしてドアが開かれた。

出迎えてくれたのは彩乃だった。

3年ぶりに見る彩乃。
俺は息をすることさえ忘れてた。

目の前の彼女に、もうあの頃の幼さはない。
時間は彼女を成長させていた。着実に。

頭の中で次々とよみがえる、彩乃と過ごした日々の残像。
そしてあの日。
まちがいなくおれの腕の中にいた彩乃。

しかし今、目の前にいる彩乃は、
すこしこわばった表情のまま、
微笑むこともなく、ただおれを見つめている。

その奥にあるのは…
憎しみ? さげすみ? それとも、怖れ?


わかっていたことだった。

なんで、
なんで彩乃が俺を今でも好きだなんて、
勝手なことを考えてたのだろう。
彩乃の前に現れていい資格なんて、
これっぽっちもありはしなかったのに。

何かを期待していた自分自身の甘さを、
こんな結末に気づかないフリをしていた今の自分を、
笑うしかなかった。

彩乃はそんな俺に背を向け、無言で奥へと向かう。
そして振り返る。ついてこい、ということか。

たどり着いたところは彼女の部屋のようだった。
部屋の真ん中に白木のテーブルと二つの籐椅子。
白いベッドカバーの大きなベッド。
その横には小さなサイドテーブル。

彩乃はベッドサイドに向かう。
サイドテーブルから、平らな木の箱を手にとる。
ローズウッドの木目が美しい。
それを携え、ゆっくりとこちらに戻る。

テーブルの上に置き、ふたを外した。
カタッと言う音が、予想外に大きく部屋に響く。
取り出されたのは分厚い紙の束。
綺麗なリボンでくくられた、たくさんの白い紙。

こちらの手に渡された。受け取る。
彩乃は俺を見つめたまま、何も話そうとはしない。

うながされるように一番上の白い紙をめくる。

日本語の文字。見覚えがあった………
それは俺の出したメールのプリントアウトだった。
まちがいない。
何枚かめくり、すべてそれだとわかる。
おそらく3年分のメール。

それぞれの紙に微妙にしわが寄っている。
何度も読み返したためだと気づく。
そして、変ににじんだ跡が何箇所もあって。
その原因を思いつくのに時間がかかった。

…これは …涙の …あと?

たまらず顔を上げた。

目の前の彩乃は両目に涙を溜めていた。
そして、初めて口を開く。

「おにいちゃん… 
 なんでもっと早く来てくれなかったの?
 待ってたんだから… ずっと」

彩乃の頬を涙が伝う。
俺の胸に抱きつく。嗚咽が止まらない。

しっかりと抱きしめた。
二度とこの手の中から、
あやっぺがいなくならないように。
しばらくそうして、やっと彩乃が落ち着く。

窓の外、見覚えのある景色に気づく。
ひまわりが大輪の花をつけていた。

「見える?」
腕の中の彩乃がつぶやく。

「あぁ」

「あのひまわり見て、寂しくないぞって、
 毎日、毎日、自分に言い聞かせてた。
 お兄ちゃんに、
 私なんかよりもっとふさわしい人ができても、
 私を大事に思ってくれたのは… 本当だったって……」

おれは言葉を失う。

「でも、もう、がんばらなくてもいいんだね。
 おにいちゃん、来てくれたんだもん」

抱きしめるしかなった。


抜けるような青空に、
ひまわりの黄色い花がまぶしい。





ひまわり The end
2004/02/23