紫陽花  part.1 next


「じゃそういうことで」
「なにが?」
「えっ? 聞いてなかったの?!」
「聞くもなにも、
 おまえなんも言ってないじゃないか!」
「ぜっぜん聞いてないって‥ そう言いたいわけ!?」
「聞いてないことも聞きましたって言えってか?
 あん?」
「ああいえばこういう。
 あんたには素直さってもん、ないの?」
「それはそのまま香織にお返ししたいね」
「いつ、私が素直じゃなかったって?」
「生まれてからず〜〜〜〜っと、これっぽっちも!」
「うっ……うっ……」
「どうした?急に黙って……。
 あっいかん、やばぃ!!」
「逃げるな〜〜〜〜!!!!!!」

殺意を感じてその場を逃げようとした俺を、
香織の正拳が襲う。
とっさに平手で受けた。パシッと大きな音がする。
まわりの御学友たちは、
その音に驚いてこちらを振り向くが、
「また、いつものやつだよ」と、
潮が引くように元の会話に戻っていく。
その間0.5秒。
教室は平静を取り戻したが、俺達はまだ戦闘中だ。

香織はつかまれた拳をそのままに、
おそらく腰をひねって、
右回し蹴りを仕掛けるにちがいない。
香織の攻撃パターンはよみやすかった。
昔から。

ただ、今の香織は、俺が椅子に座っていて、
自分が立っていることを完全に忘れてる。
そしてここが道場ではないことも。

そして俺は必殺の一撃を繰り出す。
「おまえスカートだぞ」
「え?」
怒りにわれを忘れていた香織が、一瞬女の子に戻る。
右足が地面を離れた瞬間だった。既に拳は離している。
いくら何でも、人間の体は急に動きを止められない。
俺がやすやすと頭を下げた上を、
力のなくなった右足が通過する。

見えるものが見える。

「今日はイチゴ柄か……」
その言葉に香織はあわててスカートを押さえた。
俺はその隙に時速5万kmで教室から逃げ出した。

アイツの親父さんは、空手道場を開いてる。
そこの壁には、しっかり俺の名札もぶら下がってる。
結構、毎日のように対戦してるんだな、これが。
ただこいつのまずいのは、キレルと見境なくなるとこ。
どうしてか俺の言葉にだけ、極端な反応するんだ、
香織は。

家に帰り、すきっ腹をすこし埋めてから、
ベッドでシエスタタイム。
世界の終わりがきても、
俺はこの午睡の習慣を捨てることはないだろう。
寝る子は育つと故人も言っていた。
いずれ身長も3mを超える日が……来るわけないか。
ともかく俺は割と古典的な人間なわけだ。
こう見えても。
古典と現代の融合について思念をめぐらせてるうちに、
睡魔が俺を襲う……


音が……すぐそばで……うるさい。
誰かが俺の眠りを……この重要なひとときを……。
誰だ、邪魔するのは?
気持ちよい眠りを妨げたのは机の上の携帯だった。
ディスプレイを見る。
……番号だけか……誰だいったい?
俺は一気に怒りモードに突入していた。

「誰だ!」
受信ボタンを押して、
おれは噛み付くように相手にどなった。
反応がない。おかしい。耳にぴったりつけてみた。
その瞬間だった。

「一樹のばかやろう!!」
耳が壊れるかと思うばかりのボリュームで、
罵声が俺の脳を直撃した。
香織だ。
いくらなんでもこんなことするか?
高校生にもなって。

普段なら、さらに熱くなるところだった。
しかし相手が香織であることを思い出して、
俺は逆に冷静になっていく。
このままではまずいと思った。
アイツを本当に逆切れさせると、
とんでもないことになる。
前に一度そうなって………

思い出すだけでも身震いが起きる。
燃えたぎる怒りより、
湧き上がる恐怖が俺の中で上回った。
ともかくここは人間関係の修復を優先させよう。

「いや、悪かった。ごめんな、さっきは」
「………?」
「だから、ごめん、って」
「……なにか……たくらんでる?」
「ぜんぜん」
「う〜ん」
明らかに香織のボルテージが低下してきた。
もう一押しだ。

「でさ、悪いんだけど、さっきの話、もう一度教えてよ」
「やっぱ本当に聞いてなかったの?」
「そう」
「そっか。そういうことだったんだ。
 じゃ……そっち行く」
「了解」

今、思い出した。
さすがに家が目の前なんで、
香織の携帯番号なんぞ登録してなくて、
ディスプレイが番号だけだったんだ。
今後のリスク回避のため、
「危険」と言う名で登録しておく。


「あらあら、すみませんね」
「いえ、とんでもありません。
 一樹さんにはいつもお世話になってますから」

なにやらお袋と誰かが……あの声は香織?
いつのまに。
それより、その上品な日本語は……気持ち悪い。

1階のダイニングに下りると、
テーブルの上に紫陽花が見えた。
ガラスの花瓶に入れられてる。
この梅雨の季節には、さすがに俺でもきれいだと思う。
香織の家の玄関に咲いてて、
ガキの頃から見慣れた奴だ。

「こんにちは」
なんか、
美少女ゲームの主人公のようにさわやかな笑顔で、
香織が俺に向かって挨拶をする。
「あ、あぁ」
あまりにも清楚なたたずまいを強調する香織に、
嘘と分っていても対応の遅れる俺がいた。
こいつ、こんなに器用な奴だったんだ………

「あらあら、一樹、ごあいさつぐらいちゃんと……」
「でもおばさま、
 一樹さんとはさっきまで学校で一緒でしたから」
「まぁ、そうね」

香織を促し、二人して階段を上り、部屋にはいる。
なんとかお袋の追撃を振り切った。

「相変わらず汚い部屋ね」
「おまえさ、
 他人の部屋に入った瞬間言うことがそれか?」
「でも……」
「それより、さっきのはなんなんだ?」
「さっきって?」
「お袋とのやりとりさ」
「なんのこと?」
香織はキョトンとしてる。

「俺に対するときと全然違うじゃねえか」
「ああ、そのことね。そう、かなり違うね」
あっけなく同意される。
「なんでだよ」
「変なんだよね。一樹が目の前にいると、
 過激になっちゃうんだよね、なぜか」
たしかに、俺以外の誰にも、
香織はあんな無礼な態度を見せたことはない。
俺に対するときのような、超攻撃的な姿勢も。

なんか間があく。
「あ、そうだ、教室で話してた件は?」
「そう、そうだよね」
香織、考え込んでいたらしく、あわてて答えた。

「夏休みに、プール行かない?」
「プール?」
「そう。マリンプールの招待券手に入ってさ」
「って、タダって事?」
「あと1枚あまってて」
「おお、そりゃいいな………でも……」
「なんなの?」

「なんか、おまえの誘い方、
 微妙に逃げ腰な気がするんだが……」
「まぁ、そりゃそうでしょ」
「えっ?」
「そうか、やっぱり忘れてるんだ一樹」
何を言ってるんだコイツは。

「ほら、小学校5年のとき区民プールで……」

なに、小学校5年? 区民プール?
あぁ……そう言えば、香織と行ったことあったっけ。
なんか、あったっけ。

「一樹さ、私をプールに突き落としたでしょ」
そんなこと……もあったかもしれない。
「でさ、頭から水掛けたり、
 水の中からあたしの足を引っ張ったり」

うん、覚えちゃ居ないが……
それぐらいはやりそうだな、俺。

「私、あの日、泣きながら帰ったんだから」
「で、何が言いたいわけ?」
「だから〜、一樹を誘いにくいのは、
 私のトラウマと密接な関連が……」
「待て!!フリが長かったけど、今の話、
 ほんとは………ただ言ってみただけなんだろ?
 香織さん?」
「ばれたか。ハハ」
首をすくめる香織。

「大体おまえにトラウマなんていう洒落た……」
香織の表情の変化に気づいて、言葉が尻つぼみになる。
「なんですって?」
「いえ、なんでもありません。忘れてください」
「そうかそうか……。それで、行くのか行かないのか?
 あぁ?」
「はい、ご一緒させていただきます」
「そっか」

あれ? 香織、笑顔を見せてる。
「なんだ、そんなに嬉しいのか?」
「そ、そんなことはない。
 券が余んなくてよかったなって。それだけ」
うろたえる香織。どういうわけだ?

しかし、次の瞬間には、
いつものクールな香織にもどっていた。
「じゃ」
何事もなかったかのように香織は帰っていった。
変だよ、あいつ。

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