初  雪

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「お風呂、いいよ」
「おう、やっとあがったか。しかし長いよな、おまえの風呂はいつも」
「そうかな?」
「女の長風呂って、よく言ったもんだなって思うよ」
「そんなに長い?」
「ああ。いったい何してんのか疑問だね。中で寝てたりするわけ?」
「そんなことないけど、バスタブの中で浮かんでると、
 とっても気持ちよくて、出たくなくなっちゃうんだよね」
「そういうもんか。俺には分からんな」
「そうね。お兄ちゃんのお風呂って、あっという間だモンね」

暖房が効いているから、風呂上りはいつものスウェット。
冷蔵庫から牛乳パックを出して、口をつけて一気飲みをする。
御行儀が悪いけど、コップに入れた時とまた違う味がしていいんだよね。
なんか視線を感じた。

「おまえさぁ、もう少し、女の子らしく出来ないの?」
「いいじゃない、別に。
 でもそれって親みたいなセリフだね。二つしか違わないのに」
「二つ違えば十分だろう。
 それより、おまえはいいかもしれないけど、
 他の人に迷惑だろ? そんな飲み方したら」
「気にしない気にしない、家族なんだから」

あきれられた。

あ、そういえばなんか変だと思ったら、ママの姿が見えない。

「あれ? パパとママは?」
「オヤジの会社の人のお通夜。ついさっき電話来て出て行った」
「そうなんだ」
「なんか結構お偉いさんとこみたい。手伝うから、帰り遅くなるって」
「ふーん」

こんなご時世だから、勤め人も大変。気を使って。

遅くなるのか‥‥

ちょうどいいか、話しをするのに。うん、そうしよ。

「お兄ちゃんさ、ちょっと時間、いい?」
「あぁ、かまわないけど。なんだ? あらたまって」
「すわって」
「おぉ、マジだねこりゃ」

「‥‥‥あのさ、パパとママって、私の本当の親じゃないよね?」
「なんだ? 突然」
「だってさ、二人とも血液型がO型で、お兄ちゃんがO型。
 で、私はB型。ま、誰が考えたってわかるよね、これは」
「‥‥‥まあな、ふつうわかるな」

肯定。別に驚いた様子も無い。よかった。
やっぱりパパとママに聞かなくて正解。
私を傷つけないように、おろおろした対応始めるもんな、絶対。
あの二人なら。

「予測してた? この質問?」
「そりゃそうだ。
 俺の妹がそれに気付かないほどバカなわけはないだろう。
 いつか聞かれるだろうって。」
ほめられてんだかどうだか、微妙。

「でもさ‥‥ 優子、あのな」
「わかってる、お兄ちゃんの言いたいこと」
「?」
「血の繋がりなんて気にする必要はない。気持ちで考えろよ、でしょ?」
「そういうことだ。そこまでわかってるんなら話は簡単だ」

なんか、あっけなく答えは出てしまった。
パパとママとお兄ちゃんが血のつながりがあって、
この家の中で私だけが他人。そういうこと。

私がずいぶん前にその事実に気づいていて、
気持ちの中でとっくに一応の解決が済んでいることも、
お兄ちゃんは理解してくれていた。

「お兄ちゃんは、私がこのうちに来たいきさつ‥‥ 聞いてる?」
「あぁ、前にオヤジから」

お兄ちゃんは話し始めた。
初めて聞く話に私は息を詰めていた。

「オヤジとお袋には、家族同然に付き合っていた友達夫婦がいた。
 安田っていう名前だ。
 おまえが赤ん坊だった時に交通事故に会って、その夫婦は亡くなり、
 奇跡的におまえだけが生き残ったそうだ。」

「近い親戚がいなかったこともあって、
 息を引き取る間際に、
 『俺たちが育てるよ』ってオヤジたちが言ったら、
 『そうしてくれると安心だ』って、決まったんだそうだ。
 その日から安田優子は水沢優子としてこの家の家族に加わり、
 おまえは俺の妹になった」

「まだ2才だった俺には、事情なんかわかんなくて、
 妹ができたことが、単純にうれしかった。それしか覚えてないな。
 おまえの話は、高校入ったときに聞いた。
 俺が知ってるのはこれぐらいだ。
 細かいことは、オヤジたちに聞けばいい。
 もう、おまえも自分のことを知るべき年齢になったんだから」

淡々とつむぎだされた言葉は、
私の心の中でゆっくりと形になっていった。

みんなは私を騙していたわけじゃない。
そのときが来るのを待っていただけだった。
それだけのことだ。

その晩、二人が帰るのを待って、この話をした。
パパもママも「すまない」って謝ったけど、
そんなこと全然ない、って言っておいた。
だって二人の愛情で包まれて、
今まで何不自由なく幸せに暮らしてきたのだから。

悩むことはあってもちゃんと理解が出来る、
そんな年齢になるまでは、
私が親であっても事実を話したりしないだろう。
パパたちと同じように。

とはいっても、それから何日かは、
この家の中で自分の居場所がみつからないような、
そんな変な気がしてた。
前と同じように普通にしようと思っても、
あれこれ考えてしまって。

まだ私は子供なんだろうか?
聞いてはいけなかったのだろうか?

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「飯だぞ〜 優子。 降りて来いよ。
 来ないとおまえの分も食っちまうぞ〜」
お兄ちゃんの声がした。いつもと同じような言い方で。
「わかった。今行く」
一階に向かって大声で返事した。

食堂に行ったら、お兄ちゃん一人しかいなかった。
「あれ?」
「やっぱりおまえ忘れてるんだ」
「なんだっけ?」
「なんだっけじゃない。夫婦で仲良くディナーって、
 今朝言ってただろうが。結婚記念日だからって。
 本当はおとといだったんだけど、
 例の通夜と葬式でそれどころじゃなくなっちゃって。
 それで今夜になったわけだ。
 お子様たちは適当に食っておけって、そういうお達しだ」

そんなこと言われたような気もするけど‥‥
だめなんだよね、朝って、まるで弱くて。

「まぁいい。飯は作った。とっとと食え」
ドーンという感じで、台所のカウンターに丼が二つ置かれる。
テーブルに降ろしたら、ピーマンと肉の細切りが目に入って来た。

「どうだ、特製の青椒肉絲丼だぞ、驚いたか?」
「これって‥‥ 食べられる物なの?」
「失礼な!
 いい、そんな奴に食わせる義理は無い。
 よこせ! 俺が食う」
「んもう〜 冗談だってば。いただきま〜す」

食べたら、これがめちゃくちゃおいしい!
「どうだ?」
「すご〜くおいしいよ!」
「それはよかった。じゃ、俺も食うか」
「え?」
「いや、ちょっと自信なかったから‥‥」
「それってひどすぎない? 私ってお毒見係?」
「そう言うなよ。うまかったんだからいいだろうが」
なんか誤魔化されてるような。

むしゃむしゃとお兄ちゃんが食べてる。
丼で顔が隠れてる。
お兄ちゃんの食べっぷりって、男らしいよな〜
昔から見慣れた光景だけど、私、見とれていた。

「どうした?」
「?」
「なにボーッとしてるんだ?  冷めちゃうぞ、せっかくの究極の一品が」
「う、うん。そうだね」

「食った食ったぁ〜!」
「うん、おいしかった、とっても」
「俺って才能あるかもしれないな。うん、あるんだ。
 天才かもしれない。これから、料理の鉄人って呼んでくれる?」

お兄ちゃんは何も変わらず、
以前と同じように私に接してくれてる。
そして、いつのまにか引きずられるように、
私もふつうに会話をしていた。
言葉の一つ一つに気を使うこともなく。

この家を作り上げてきたものは、血のつながりじゃなく、
一緒に暮らした長い年月とお互いの愛情なんだって、
そのとき本当にわかった。
お兄ちゃんが私にくれた無言のメッセージは、
見失っていた私の居場所を教えてくれた。
前と同じ場所でいいんだよ、って。

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次の日曜日、4人でお墓参りに行った。
パパとママは、年に2回来ていたそうだ。欠かさず、毎年。
私がどんな風に育ってるかの報告をしていたんだろうと思う。
どうすることも出来ず、パパとママに私を託した二人に。

安田家之墓。大きな御影石にそう彫られていた。
みんなで一度手を合わせる。
墓石の横にある、一回り小さい石碑を見る。
17年前の同じ日が命日の二人。

安田和男
安田紀子

どんな顔をしていたんだろう?
私の本当の両親は。
どんな話し方をしてたんだろう?
そして、
どんな思いで私を一人だけ残して
この世を去ったんだろう。

とり残された私の悲しみより、
私を置き去りにして立ち去らなければいけなかった、
そのときの二人の気持ちがとっても切なく感じられた。
涙があふれて、こぼれていった。

「和ちゃん、紀ちゃん。
 こんなに大きくなったよ。見てごらんよ。
 あの優子がさ、こんなに‥‥‥」
言葉がとぎれて、パパは下を向いてしまう。泣いている。

私はパパとママとお兄ちゃんのほうに向いて、頭を下げた。
「ありがと」

私の分と、そして私の本当の両親、安田夫妻の気持ちをこめて。
みんな、私のことばの意味を分ってくれてた。


帰りの車の中で、パパが運転しながらポツリと言った。

「初雪だ」

横を見ると、白いものがフワフワと落ちてくるのが見えた。
パパの言葉を引き取るようにママが話し始める。

「優子がうちの子になった日も‥‥
 そう‥‥ こんなふうに初雪が降ってた。
 私の腕の中でスヤスヤと寝ているあなたを見て、
 この子に寂しい思いは絶対させない‥‥‥
 そう思ってパパを見たら、
 パパもおんなじこと考えてるって、わかって。
 ‥‥あの日からもう17年も経ってるのね」

誰もが無言で、17年前の初雪の日に思いを馳せていた。

沈黙を破ったのはパパだった。

「優子」
「なーに?」
「この際だから言っておいた方がいいだろう。
 お前の苗字、変えるなら今のうちがいいのかもしれない。
 優子の本当の親は安田たちなんだし、それに」

「私はイヤ!」
思った以上の強さで声が出てしまった。
みんな、驚いている。

「私はこのうちの子でしょ?」
「ああ、そうだよ‥‥‥」
「じゃいい、このままで。
 パパとママがそれでいいって‥‥ 言ってくれるなら‥‥」

どうしようもなく涙があふれてきた。
私は‥ 私は‥

「‥‥‥‥‥そうか、そうだよな。そうだよ。
 おまえはうちの子だ。まちがいなくパパとママの子だ。
 つまんない事言っちゃったな。忘れてくれ」
「パパの気持ちは‥‥‥わかってる」
「そうか、わかってくれるか‥‥」

パパは目をゴシゴシとこすっていた。
「見にくいんだよな、雪の日は」


細かい雪の中を、車は家に向かって走っていた。
私たち家族を乗せて。