---------------------------------------------------------- Part.1

俺は別に雨が好きなわけじゃない。

赤点で補習くらって、今まで教室に残されてた。
んで、帰ろうと思ったら、窓の外はどしゃぶりの雨。
教室にカサが残ってたんで、誰のかは知らないけどちょっとお借りした。

街は夕暮れ。
でも低くたれこめた雲のせいで、ほとんど夜のように暗い。
急ぎ足で家に向かう。
雨は激しいまま。道路はうっすらと川が流れてるように見える。

公園のそばを通る。もうじき家という所。
ガキの頃、ここでよく遊んだもんだ。
ブランコ、ジャングルジム、砂場、そしてすべり台‥‥
ふと見ると、すべり台の下に人影らしいものがあった。
足を止めた。
誰か雨宿りしている様子。
なんだろうと思って近寄った。
制服が見える。俺と同じ高校の女子だ。

「どうしたんだよ? そんなところで」
「?」
彼女が顔を上げる。
「なんだ、中川か」
「あ、上田君」

中川美也子。同じ2−Dのクラス。成績はそこそこ優秀。
赤点で居残りさせられたことなんて多分ないだろ、そんな奴。
普段あまり目立たない感じ。
俺としても、彼女と一対一で話をした記憶がない。

彼女の髪から肩にかけて、雨でだいぶ濡れていた。
なぜか、ブレザーを前でかき合わせるようにしてる。

「おまえんち、こっちじゃないだろ?」
「今日は、ちょっとそこの店に買い物行ってて」
中川は美術班で絵を描いてる。
このすぐそばに画材屋があるので、そこに行った帰りなのだろう。

そのとき、
「ミャァ‥」
子猫の鳴き声。
ブレザーの上のほうから顔がのぞく。
とても小さな、生後間もない子猫。

「どうしたんだよそれ?」
「さっきここを通りかかったら、
 砂場のところでびしょぬれで鳴いてたから‥」
それで懐に入れて暖めていたというわけか。

「すぐそこが俺んち。とりあえず行こう」
「えっ?」
「そんなびしょぬれじゃ、家まで帰らないうちに風邪ひくだろ?」
「‥‥‥」
「あ、怪しい誘いじゃないよ。家にはお袋もいるから。
 タオルとカサ、貸してやるよ」
なんとか説得して、俺のカサで家まで行った。

「ただいま!」
「おかえり。修二、お前カサもって行かなかったろう?
 あれだけ持ってけ、っていったのに、聞かないんだから‥」

玄関にタオルを持って現れたお袋は、
不意の来客に驚いている。

「あ、この人クラスで一緒の中川美也子さん。
 そこの公園で雨宿りしてたから連れてきた」
固まってるお袋の手からタオルを奪い取って、彼女の頭にかけた。
「ちょっとあがってけよ」
「でも‥‥‥‥‥」
「そうね、そうしなさい。修二の言うとおりよ。
 そのままじゃ風邪ひいちゃうから、ね?」
立ち直ったお袋は俺に加勢する。

そのとき突然、「ミャア」と鳴き声がした。
お袋が、顔を覗かせてる子猫に気付く。
「あらあら、あなたも雨に濡れちゃったのね。
 こっちにいらっしゃい」
そう言いながら子猫を抱き上げた。
「おーヨシヨシ。寒かったね〜。あったまろうね」
猫を胸に抱いてお袋は向こうに行ってしまう。
残された俺は、彼女を無理やりうちに上げた。

食堂の椅子に座らせて、彼女にもう一枚バスタオルを渡した。
「ありがと」
やっと好意に甘える気になったらしい。
濡れた髪と服を拭き始めた。

お袋は猫の担当になったらしい。せっせと体を拭いてたと思ったら、
台所からお皿を持ってきた。中にはあっためた牛乳。
フローリングの上で子猫は上手に舌を使って飲む。

「この子見つけて雨宿りしてたのね?」
「ええ、そうなんです」
「ほっとけないのよね、これぐらい小さいと」
「多分、親とはぐれたか‥ 」
「捨てられたか‥ ね。
 どっちにしても、自分で生きていくことはできないでしょうね」
「そう思って」
「あなたの家は?」
「駅前のエスティナ3番館です」
「ああ、あそこ‥‥ マンションなのね、あなたのおうちは」
「ええ‥‥」
そうか。彼女の消え入りそうな声で俺は気付いた。
猫を拾ったはいいが、連れ帰れずに立ち往生ってわけか。

「この子、ここで預かりましょうか?」
突然のお袋の言葉に、彼女は驚く。
俺が後を続けた。

「はは、やっぱりこうなると思った。
 中川。このうちさ、前は5匹ぐらい猫がいたことあるんだ。
 ほとんど猫屋敷ってかんじでさ。今はたまたま居ないけど。
 さっきから見てて分かるだろ? お袋の猫好き。
 なんかガキの頃、猫をスゲェ可愛がってるお袋見て、
 お袋にとって俺は猫以下かな、って思ったこともあるぐらいだし」

「修二!」
「冗談だよ」

「ということなんで。
 それにいまさら、こいつ雨ン中おっぽり出すなんてできないだろ?
 ほら中川、見てみろよ。あれ」
いつのまにか、おこたで猫とじゃれあってるお袋の姿。
視線に気付いて俺たちのほうを見る。

「そうしなさいよ、中川さん。
 時々うちに、この子の様子見に来れば? 気になるだろうから」

「でも、それじゃ‥‥‥‥」
「いいって、いいって」
「そう、いいのよ気にしなくて」

「じゃ、お願いします
 そのかわりっていったらなんですが、
 ‥‥上田君、今日は赤点の補習だったよね?」

「修二! また赤点取ったの? 2年になってから何回目!?」
「中川! ‥なんでそんなことを ‥ここで」

「こちらにこの子をお願いする替わりに、
 修二さんの家庭教師、して差し上げたいんですが?」

「家庭教師?」
お袋と俺の声がハモった。

「ただお邪魔するだけじゃ悪いし、
 それぐらいしか私できませんから‥‥」

「中川さんの気が済むならそれでいいけど‥
 修二は?」
「勉強するってのはうれしくないけど、中川が気兼ねしないで済むなら」
「じゃ、それでいいんですね?」
彼女の笑顔がまぶしい。輝くようなやつ。
反対できる奴なんているわけないだろ、ってぐらい極上の。

マンションの前まで送っていった。
「いいんだぜ、俺の勉強なんか面倒見なくても。
 そんなことなしに来ればいいよ、うちに。
 猫好きの女の子は大歓迎だよ、お袋は」
俺もって言うのはさすがに気が引けた。

「それなら、気楽にお邪魔できると思います」
「そうしてくれ」

そんなこんなで、
彼女はちょくちょく、うちに寄るようになった。

---------------------------------------------------------- Part.2

「だからぁ、ここ違います。何度目ですか? 修二さん!」
こわっ。
同じところを間違った俺が悪いのは確かだが、
中川の追求はきびしい。
「そんなマジになるなよ。
 この間言ったように、猫の養育費なんて要らないんだからさ」
「だめです」
「んな事いわないでさ。お袋、趣味で育ててるんだから」
「私の中では、無理言ってお願いしたことですから。
 ちゃんとお役に立たないと、様子を見に来ることも出来ないんです」
思ったより真面目な奴だった、こいつは。
この場はあきらめるしかない。

「休憩よ! 二人とも降りてきなさい!」
遠くからおふくろの声。
「やったぁ!」
「もう、しょうがない生徒さんですね」
小学生を見るような彼女の笑顔。
二人して1階におりた。

拾われた猫には、このあいだ彼女とお袋で話し合って名前がついていた。
ラッキー。危ないところを助かったんだから。
おこたで、彼女はラッキーとたわむれている。
俺が手を出すとラッキーは逃げた。

「おまえ、それは義理を知らない行動だろ。
 一応、俺はラッキーの命の恩人の一人だぜ。それなりの対応が」
「修二さん、それは無理です」
「なんでだよ? 俺、猫は好きだぜ」
「だってラッキーは女の子ですから、男の人って、こわいんですよ。ね?」
「そうそう、修二みたいな荒くれ男の手の中じゃね〜」
そう言うおふくろの胸では、ラッキーが居心地よさそうに目を細めてる。
なんかお袋と中川とラッキーが家族で、
俺はよそものみたいな感じ。

俺はテーブルに出てたシュークリームを、一気にほおばった。
むせて、お茶で流し込む。
「やーね男って、デリカシーなくて」
お袋の声に、ラッキーを抱いた彼女が笑ってた。

「修二さんはね、ラッキー。
 ちょっと見た目は怖いけど、優しい人だから。
 また今度遊んであげようね、すねるといけないし」
大きなお世話だ!


2週間後の小テストで、ちょっとした事件が。
俺は赤点をとらなかっただけじゃなく、
クラスの真中辺りまで順位を上げていた。
それも全教科。
彼女に予習復習する習慣をつけられてしまって、
つい毎日やってしまったせいだ。

帰り道、礼を言った。
「あ、いいんです。私が勝手にやったことですから。
 でも、よかった、結果が出て」
そう話す彼女はニコニコと笑ってる。

「でもね、修二さんと帰ってるところ見られたみたいで。
 どうなってるの? って、この前お友達に聞かれました」

「それは‥‥」
気持ちの中に答えが二つある。
「?」
彼女がこちらを向いてる。俺の言葉を待ってる。

「簡単だろ? 猫を預けてるって言えば?」
気の小さな俺は、確定した事実の方を選択した。
「‥‥それは ‥そうですけど」
視線を落とした彼女は、小さな声でそう言った。
これって‥‥ もしかしたら‥‥?

でも俺の部屋に入った途端、
「こんなもんじゃ駄目です。
 修二さんもっともっと成績伸びるはずです。
 だから、ビシバシいきますよ〜!」
全然違う雰囲気。さっきのは勘違いか?
「だから、こっちの計算がひとけた‥‥」

最初の日から感じてたことがあった。
彼女がそばに来るたび、今みたいに目と鼻の先にいるとき、
とってもいい香りがするんだ。
前にチラッと聞いたけど、別になにもつけてないって言ってた。
彼女の香り、頭の芯がしびれるぐらい素敵な感じ。

「聞いてます?」
いけね、ついホワーッとなっちまう。
「んもう。きちんとやってくれないと、私困ります」
「はい、すみません」

一段落したとこで、ちょっとした提案。
暖かな日だったので、ラッキーを連れて散歩に行こうと。
そろそろラッキーも『外』になれる必要があるし。
彼女も同じ事考えてたみたいだ。賛成してくれた。

ラッキーを抱いた彼女と公園に向かう。
なんか、二人で並んでるとカップルみたいな雰囲気。
多分、彼女も感じてるんだろ。
ぎごちない。

公園でラッキーを下に降ろした。
土の感触を忘れてるようで、こわごわと歩いてる。
すぐにこっちに戻ってきてしまう。
「ほら、お散歩しておいで」
彼女の声に、少し行っては戻ってくる。
「あんまり無理してもしょうがないか?」
「そうかも知れませんね、最初のうちは」

ラッキーが砂場のそばで立ち止まる。
何かを見つけたように一点を凝視している。
すべり台に絡まった梱包用の白いテープが、
風に吹かれて動いていた。
好きなんだよな、猫って。こういうの。

テープと戯れるラッキーを、彼女と二人で見ていた。
これって、親の気分だな、って思う。
俺たちって、ラッキーの両親?

ラッキーが急に走り出した。
あわてて追っかける。

そこにいたのは、ラッキーによく似た大人の猫だった。
その猫はラッキーをなめまわしていた。
様子を見て、納得した。この猫はラッキーの母親だ。
たぶん中川も気付いてるだろう。

声をかけられた。
「すみません」
見ると年上の女性。こんな知り合いはいない。
「あの子の面倒を見てくださった方ですか?」
ラッキーの方を向いてそういった。

「はい、そうですけど」
「ああ、やっぱり。よかった、あの子生きてたんだ」

話を聞いた。
このすぐそばで散歩してる最中に迷子になったらしい。
探してみたが見つからず諦めていたようだ。
「可愛がってもらってたようですね。とっても元気だし」
「彼女が最初に見つけて、俺んちで育ててた。
 お袋がとっても可愛がってる」

落ち着くべき結末が見えた俺は、不機嫌になっていた。
中川も同じ思いなんだろう。言葉がない。

「中川‥‥  今さ、ラッキーの親が見つかったわけだよな?
 それも、捨てられたわけじゃなく、迷子になってただけで。
 よかったんだろ?
 やっぱ、ラッキーも母親と一緒にいるほうが幸せだよな?」
うなずくのが精一杯の中川。
言ってる俺自身でさえ従いたくない、そんな内容だったから。

下を向いたまま、中川は小さな声を出した。
「連れて行ってください。そして大事にしてください」

中川の様子から、その女性は俺たちの思いに気づいたに違いない。
慰める言葉なんてないことも。
その人は、俺の家の住所を聞いてから、ラッキーを抱いて消えていった。
あとで正式にお礼に伺いますって、言ってた。

家に戻って、公園での出来事をお袋に話した。
3人揃って気の抜けた状態でお茶を飲んでた。
さっきのこと。ラッキーにとっては一番いい結果だった。
でも、そうじゃない何かが3人に言葉を失わせていた。

「ということで。  家庭教師、長い間ありがとう、助かったよ」
「でも」
「もう養育費も要らないわけだし。
 中川、自分の勉強もしなくちゃいけないだろ?
 俺の面倒見るんで、ずいぶん時間取られたろうし。
 ありがとうな、これまで」
「‥‥‥‥」
なんか、困ったように見えた。
俺は自分の言葉を撤回したかった。できることなら。

---------------------------------------------------------- Part.3

そして、俺の生活は元通りになった。
ちょっとお袋が寂しそうにしてる以外は、何も変わらない。
この前、ラッキーの家の人が来たらしい。
たくさんのケーキがあった。めずらしく食べる気が起きなかった。

教室での中川も以前と同じように控えめな感じ。
ただ俺のほうは少しちがっていた。
授業中に彼女を見る回数が増えてしまっている。
あの香りをかげるぐらい、そばに行くことは出来なかったが。

俺だけが彼女の優しい一面を知っていた。
うちで見なれた彼女の笑顔はここでは見られない。
でも、あらためて声をかけるのはためらわれた。

時々、俺の視線に彼女の視線がかぶる。
一瞬深く心の奥まで見つめられてるような、そんな感じがした。
俺の勘違いかもしれないけど。
そしていつも、あわてて視線が外される。
ラッキーのいない今となっては、迷惑なのかもしれない。
単なる養育費代わりだったのだから。
それ以上を期待するのは筋違いだと分っていた。


今日の放課後は、ずっと担任と話しをしていた。
進路指導ってやつだ。
前の俺からすれば夢のような大学を担任は薦めてきた。
といっても私立のグループ2ぐらいだが。
それでもお袋、喜ぶだろう。そう思った。

最近、赤点を取ることもなくなっていた。
彼女につけられた『悪い習慣』のせいで。
予習復習しないと気持ち悪くなってしまう、
という恐ろしい事態!
冗談抜きで、感謝しなくちゃいけないかもしれない。
中川には。

教室で帰り支度をする。もう誰もいない。
窓の外は雨が降ってた。
忘れずに傘を持ってきた俺は、のんびりと家に向かう。
あれから何かが変わってるみたいだ、俺の中で。


公園の脇を通る。
ここにいたんだよな、あん時、中川。
あのすべり台の下に‥‥‥‥

あれ? 誰か‥ いる‥
近寄ってみたら‥‥ 中川だった。
「なにしてんだよ、こんなとこで?」
俺の顔を見つめたまま、その口から一言。

「ミャア」

おれはあぜんとした。何のつもりだ?

「ミャゥ」

俺はしばらくそのまま突っ立っていた。
これって‥ もしかして‥
勇気をふりしぼって聞いてみた。

「迷子の‥ 子猫?」
ウンウンと、首を縦に振ってる。

そういう‥ こと‥ か


「迷子か‥‥
 しょうがないなぁ、うちに連れて行ってやるよ」

子猫はおそるおそる俺の隣に来た。
「ほれ!」左腕を差し出す。
おずおずと腕をつかんでくる。
そして少しずつ力を増して、しっかりとぶらさがるように。

「名前を思いついた。
 今日からは中川じゃなくて‥ ミャ−子。
 そう呼んで‥ いいかな?」
「ミャ−」

子猫を連れて歩き出す。
聞いてみようと思った。

「教室で俺が見てたの、ずっと前から気付いてたんだろ?」
「ミャ−」
「恥ずかしくて、言い出せなかったのか?」
「ミャゥ‥‥」


結局ラッキーの替わりに、
別の猫がおれのそばに迷い込んできたわけだ。
ちょっとドキドキする子猫が。


俺は少し雨が好きになった。