拓実

3.

「課長? まだ帰らないんですか」

その日、珍しく課の全員がとっくに退社していて、
気づけば俺と石崎課長しか残っていなかった。
何とかカタがついたところで声を掛けた。

俺の声に気づいてないのか、
石崎課長は真剣な顔をして、手に持った書類を見つめていた。

その表情は、なんか… いつになくつらそうに見えた。

「課長?」
「あ、杉田君」
今、突然気づいたようにこちらを見る。

「もう終わり?」
「ええ。課長はまだかかるんですか?」
「もうちょっとね」

「なんか手伝えることがあれば」
「ううん、大丈夫」
「そうですか。じゃ、お先に失礼します」
「お疲れ様」

ドアを閉める前に振り返ってみた。
頬に手を当てたいつものポーズで、課長は書類を見ていた。


「おう、お疲れさん。生ビールでいいか?」
「あぁ」
西山はソツなく店の人にオーダーを通す。

「課長、まだ社にいたか?」
「あぁ、俺が出てくるときにも、なんかしかめっつらして書類を見てた。
 なんだろうな、いつもと違う感じだったけど」
「おまえ… 全然知らないのか?」
「何が?」

「バリアント商事がきのう一回目の不渡りを出したんだよ」
「え? 課長が開発したあそこ?」
「そう。で、うちがかぶりそうなのが、そうだな、ざっと見て5億」

思わずビールを吹きそうになった。

「全部イっちゃいそうなのか?」
「おそらくな」

俺の頭の中に、さっきの課長のつらそうな姿がよみがえってきて、
酔うどころの状態じゃなかった。
早々に切り上げて、店を出る。

西山はといえば、隣のテーブルの女の子と意気投合して飲み始めていたので、
気にする必要もなかった。

帰り道、通りかかった社屋を見上げる。
俺の課のところの灯りはついたままだった。
まだ課長いるんだ。

でも、オレにできることなんて何もない。
まだ1年目の半端営業マンにできることなんか、何も。
なんか自分のふがいなさを感じながら家に向かった。

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渡した名刺を見つめる先輩の動きが止まる。

「おまえ、この会社にいるのか…
 石崎っていう女課長… 知ってるか?」

突然の質問に思わずワインを噴いてしまう。
「こら! おまえは相変わらず…」

「なんでご存知なんですか? 僕の上司ですけど……」
ギャルソンにテーブルの上を拭いてもらいながら、聞いてみた。
「いや、ちょっとね」
不思議なことにあまり話したくなさそうな感じがあって、
それ以上聞くことはためらわれた。

六本木のはずれのこじんまりとしたイタリアンの店。
久しぶりに掛かってきた電話の主である先輩が、
ここを指定してきた。

あとは再び、大学時代の話になって。
その間も勧められるがまま、オレとしても結構な量のワインを飲んだ。

帰り道、駅までの道を大声で校歌を絶叫されたのはまいった。
正直あれはつらかった。

駅につく直前。素面に戻ったかのように先輩が無口になる。

「おまえ… オレのこと恨んでるか?」
「?」

すぐに思い出した。

遥か昔、高校のサッカー部にいた頃。
夏合宿に同行した先輩がオレのことを厳しく鍛えようとして、
そしてオレは最終日にあえなく疲労骨折。
珍しいことに複雑骨折だった。そしてオレはボールの蹴れない状態になった。
その時のことを言ってるのだろう、おそらく。

「分かって欲しいんだ。
 お前の能力を、オレはもっと伸ばしたかったんだ。
 稀に見るすごい才能を目の前に、あせったのがいけなかった…」

「いえ、べつに。気にしてませんから。昔のことです。
 サッカーって僕にとって趣味の範囲でしたから、それほどには……
 それに別に今、松葉杖ついて暮らしてるわけでもありませんし。
 大丈夫ですよ」

オレは本当にそう思ってて、そのとおりに言葉をつなげた。

「そうか… でもな」

気付けば駅がもう目の前だった。

「……わかった。そう言ってくれて少しは気分が楽になった。
 じゃ、またな」
「今日はごちそうさまでした」
改札口に向かいながら後ろ手に手を振る先輩。

しかし、なんで先輩は石崎課長を知ってるんだろう?
それにどうして今日突然に、食事なんて誘ったんだろう?
解けることのない疑問が俺の中に残った。

それは一週間前のことだった。

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「杉田君。ちょっと」
西山に5億の話を聞いた翌日、
突然課長から会議室に来るように告げられた。

もしかして… 「クビ」…… とか? 
いや、そこまで自分が役立たずだとは思ってないけど、それ以外に……

招かれた会議室には、二人分のコーヒーが用意されていた。

「吉村さん… って人、知ってる?」
石崎課長がコーヒーを飲んでる姿って、それだけでかっこいいんだよな~
オレはつかのま見とれてて… あ、いけない!

「えっと」
「あなたの大学の先輩で」
「あっ、あの、吉村先輩なら、先週メシおごってもらいましたけど」
「なるほどね~」

「あの…」
「あなたって、とっても彼に気に入られていたようね」

特別に「可愛がられた」のは確かだけど。う~ん

「吉村さんの会社から、
 きのうの午前中に売掛金の残額全部が振り込まれてきたの」

テーブルの上を滑ってきた振込みのプリントアウトには、
西山の言っていた「やばい」会社の名前があった。
桁数が… すげぇ~

先輩、あの会社の社長だったのか……

「今日、二度目の不渡りを出して、事実上倒産したわ」
「えっ!? …でも、そんな話し、このあいだは全然」

「そしてこれが私宛のメール」
そこには先輩から課長宛てのメールのプリントアウトがあった。
杉田を頼みます、ってそれだけ。

「あなたにはお礼を言わなければいけないわね、本当に」
席を立った課長が深々とオレに向かって頭をさげる。
「ありがとう。会社と私の窮地を救ってくれて」

「ちょ、ちょっと、勘弁してください。おれ、なんにも」
だって、ただ、会って飯をおごってもらっただけで、別に。

「お礼に、こんど私にご馳走させて、いいわよね?」

別に、断る理由なんてオレには全然なかった。



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