中庭の風景 - 2 - ----------*----------*----------*----------*----------*---------- 翌日の午後。 前の日と同じ時間、病室のドアにノックの音がした。 「石田です。いいですか?」 「どう‥ ぞ‥」 菜月の声は消え入りそうに小さい。 ドアを閉め、ベッドにゆっくりと近づく石田。 菜月の表情に、恥じらいと喜びが交互に現れては消える。 待っていた人。心から。 見てる友香里でさえ、胸が切なくなるような、 そんな菜月のようす。 朝からの質問攻めも、しょうがなかったかと、 今、友香里は納得している。 ----------*----------*----------*----------*----------*---------- 「ねぇねぇ、これでいい? 友香里〜」 「?」 「髪、変なふうになってない?」 「うん、いい感じだよ」 「でも、やっぱ、結わえたほうがいいか」 「それもいいね」 「う〜ん、どうしよう‥‥」 「あとさぁ、  何もつけないのも‥ おかしいよね?」 「え? なんにもつけないって‥‥  それは、 やっぱり、 彼、 ヒクかも。  せめてエプロンとかぐらいは‥」 「友香里‥‥  それ違う‥‥」 「え?」 「私が言ってたのは、リップクリームのことなんだけど」 「あ! そうだったんだ。  そうだよね。変だと思ったんだ。  控えめな菜月がいきなりそんな大胆に。ねぇ。  高校生だもん、そこまでやっちゃ」 「‥‥‥そのエプロンって、どこから出てきたの?」 「え? え〜と、これは‥ へ〜ぇ。教授が入れたイメージだよ」 「お父さんがそんなこと‥‥」 「まぁまぁ。教授だって男なんだし。  かわいいもんじゃない、これぐらいは」 「‥‥‥」 「それより、このピンクのリップなんか、いい感じだと思うけど?」 「‥‥そうかな?」 「うんうん、いいよいいよ」 「‥‥でもやっぱり透明なほうがいいかな?  ああ、どうしよう。決めらんない〜」 朝からずっと、それは続いていた。 くりかえし、くりかえし。あきることなく。 いや、友香里は完全にあきれていたが‥‥‥ ----------*----------*----------*----------*----------*---------- 「こんにちわ、菜月ちゃんと友香里ちゃん」 「石田さん、こんにちは!  うれしいな〜 私の名前も覚えてくれてたんだ!   あれ? ほら、菜月〜 なにしてんの?」 「うん。あのぅ‥‥ こんにちは」 「んもう、そんなに固くならなくてもいいのに、菜月ったら。  このコ奥手でね。じれったいったらありゃしない。  だいたい、なんで菜月は」 「あの、これ」 石田が差し出したのは小さな花束だった。 いままで背中に隠していたようだ。 ピンクの薔薇と、赤いカーネーションが、 菜の花の黄色にアクセントをつけている。 石田の頬がかすかに赤らむ。ぎごちない瞬間。 受け取った菜月は、花束に顔を近づけ目を閉じる。 花の香りに身を任せるように。 そしてゆっくりと目を開き、石田に微笑みかける。 「いい香りです、これ、とっても」 「いいねぇ〜 私もその手使おう  だってさ、まんま女の子だよねそのしぐさ。  博士のプログラムには、残念ながらそこまで入ってないもの。  頭良くても男には限界だね、こうゆうのはね」 「あの、こんなものまで頂いては、わたし」 「いいんですよ。きのうは手ぶらだったし。  いやぁ、この前話した友達、ほら、ここに入院してるやつね。  そいつに怒られちゃって。おまえ無神経すぎるって」 「‥‥?」 「女性のところに行くのに手ぶらなんて。  だからこの年まで彼女が出来ないんだよ。  って、もう散々」 「でも、こうやってお話できるだけで、私は‥‥」 「はいはい。ちょっと割り込むね。  やっぱ私ここにいらんないわ。つまんないもん。  さっきから二人でラブラブモードでさ、  カンペキに無視されてる〜 ていうかお邪魔虫なんだもん!  消えるよ私。  それとももっと見せつけたいわけ? 二人のラブラブなとこ」 「あ!」 「いいっていいって。30分ぐらい散歩してくる!」 友香里はあっという間にドアから外に出て行く。 ----------*----------*----------*----------*----------*---------- ドアが閉まり、友香里の足音が聞こえなくなった後、 部屋は沈黙に支配される。 胸の中にあるたくさんの思いを、 どうやって言葉にしたらいいのかもわからず、 菜月はうつむいたまま、顔を上げることすら出来なくなっていた。 友香里がいなくなってしまうと、菜月は途方にくれる。 そのうちに、せきを切ったようにあふれ出した感情が、 行き所をなくし、涙に変わる。 なんで泣くんだよこんなとこで。嬉しいはずなのに。 夢にまで見た人がここにいるのに。 だめだよ泣いちゃ‥‥ 「そうか。ここから中庭が見えるんですね」 幸いにも石田は窓の外を見ていた。 やっとのことで、涙を気づかれぬように拭きながら、向き直る。 「こうして実際に僕と話して、やっぱりがっかりしてません?」 「そんなこと」 菜月の方へと向き直った石田は、予想もしなかった言葉を告げた。 「ぼくは‥ 思ったとおりでしたよ」 「!」 「だって窓際に立つ菜月さん、最初の日から気づいてたから」 菜月は大きく目を見開き、てのひらを口に当てている。 「黄色のブラウスに赤いカーディガンでしたね。あのとき。  目に焼き付いてます。今でも」 なんと言ったらいいのだろう。 見つめていたのは自分だけのはずだった。 そうだとばっかり‥‥ 「友香里さんに連れられて、  この部屋の前まで来てやっと気づいた。  あ、ここはあの子の部屋だ、って」 「それまでに何度かここに来ようと思ったけど、  行っちゃいけないって、わかってた。鈍感な僕でもね。  入院しているはずなのに、僕は一度も君が外を歩く姿を見ていない。  たぶん、僕に分らないつらい状態なんだろうって想像できた。  それを、会いたくて来ました、なんて簡単には‥‥」 ----------*----------*----------*----------*----------*---------- 「私ね」 石田の言葉を引き取るように、菜月は話し始めた。 さっきまでと、なにかが違う。 その目が訴える強さに、石田は何も言わず耳を傾ける。 「私、ほんの半年前までは、すごくありふれた高校生でした。  普通に学校に行って、友達と映画見て、遊園地行って、  新しいお菓子が出るとコンビニで買って、そんな毎日で」 「でも、この病気になってから‥‥ わかりました。  私すごく幸せだったんですね、ずっと。  普通に暮らしてたことが、かけがえのない毎日だったって。  なんにも気づかずにいたことが、不思議なくらい」 「最初のうちは珍しいことが多くて。  だって、入院なんて初めてのことですから。  でもそのうちこの生活にも慣れてきて、  ふとした瞬間、  このまま治ることもなく、この部屋でわたしは、って。  出口の無い洞窟に閉じ込められたみたいになって」 「‥‥そうか」 「温度差とか直射日光とか、普通ならなんでもない刺激に対して、  何らかのきっかけで、皮膚が過激な反応を始めているって。  お医者さんは、そう言ってました。  まちがった抗体反応。と言うのだそうです」 そのときの担当医の言葉を、菜月は忘れたことがない。 『そしていつか、次の変化が起きます。  皮膚に起きた突然変異が、体の内部でも発生して、  最終的には、免疫機能が自らの体細胞を破壊しようとします』 それがよりによって自分に起きることだとは、 すぐには信じられなかった。 他人のことのようにしか聞こえなかった。 「でも、それは避けられない現実だと言われました。  3ヶ月か、半年か、一年か‥ それぐらい先には‥‥‥」 「‥‥‥‥」 窓に向かったまま、石田は言葉をなくしていた。 「ごめんなさい。こんなこと言うつもりじゃなかったのに。  聞いたって全然おもしろくないですよね、こんな話」 「もっと違う話、しましょうか?」 石田が菜月のほうへ振り向く。 その両目には涙があふれていた。 「ぼくは今まで、  自分がこんなに役立たずだって、思ったことがなかった。  なにも‥‥ 君のために、なにもしてあげられないことが、  今とてもつらい」 ----------*----------*----------*----------*----------*----------                     続き