踊り子    part.1
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舞台では劇のクライマックスシーンが展開されていた。
今日は、人情物の中でも座長の一番得意な演し物。
客席のたくさんの女性が今にも泣きそうな表情で、
彼の演技を見つめている。

満員御礼の客席をうずめているのは、ほとんどが女性。いつもと同じ。

最後のセリフを、座長がため息と共に吐き出した瞬間、
声があちこちからかかり、おひねりが乱舞する
感激で目に涙を浮かべている人さえいる。

何度も見ている私でさえ、胸に来るものがあるのは確かだ。
うまいと思う。

さすがに年季が入っているな、と思わされるのは、
そんな状態でも、座長がしばらくポーズを崩さないことだ。
見得を切ったままで二枚目を演じつづける。
そして、さらに歓声が高まる。

頃合を見て幕が降りる。
素早くおひねりを拾う座長の姿がある。

再び幕が上がった時には、打って変わって笑顔の座長と、
私たち踊り子を含めた一座が顔をそろえ、全員での挨拶。

すぐに私たち踊り子は舞台の袖に引き込み、
役者さんと客席のやりとりを、のんびりと眺める側にまわる。

別に演技するわけでもない踊り子は、
数少ない男性のお客さんの目当てになるだけで、
この一座ではマイナーな存在。

しばらくしてから幕が下ろされ、座長がこちらの袖に急ぎ足で近づく。
すれ違いざま耳元で小さな声がした。

「美沙ちゃん、ちょっとこれ預かってて」

そういうが早いか、何食わぬ顔ですぐに私から離れる。
そのちょっとの間に、おひねりの一部が私の手に握らされていた。

どうすれば‥

隣にいた恭子さんが小さな声で言った。
「それ、分からないように隠して」
あわててそれを見えないようにする。


座長の名前は吉葉慶二郎という人。
4歳の頃から舞台に出ていて、40年近くの経験があるらしい。

座長にはおかみさんがいる。
舞台に一緒に出ていて、ついさっきも恋人の役をしていた。

で、実は座長はかなりの恐妻家。劇団員は全員そのことを知っている。
お金の出入りも奥さんにしっかり握られていた。

だからさっきのようなことをしたのだろう。
私は初めてだったが、皆は経験があるようだ。
それが証拠に、座長の行動に対して誰も驚いてはいなかった。

化粧を落として楽屋から出たところに座長が待っていた。
「こっちに」
物陰に呼び寄せられ、さっき預かったものを返す。
「ありがと。これお礼」
なにかが私の手に押し込められた。
「え?」
「とっておきな」

そう言うと、何食わぬ顔で鼻歌を歌いながら去っていく。
指を広げてみると5千円札だった。

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私の育った街には小さな劇場があった。
別に田舎だったわけではないが、なぜか商店街のはずれに生き残っていた。
年に数回、旅回りの劇団が来てショーを開く。
それ以外は踊りの会とかの催し物に使われている。

劇団が来るたびに母に連れられ、私は舞台を見に行った。
歌謡ショー、踊り、そして人情劇。
2時間は子供にとって長い時間のはずなのに、
小学校に上がる前の私は、初めて見た日からそれが大好きになっていた。

特に好きだったのは踊り。
演歌やいろいろな歌に合わせて踊る、和服姿の女性たちがとても素敵だった。

ひとつひとつの動きもあでやかで、
子供心にも美しく思えた。

自分もああやって踊ってみたい。
その気持ちは、初めて見た日から私の心の中にあった。

中学、高校と進んでも、その思いには変わりがなかった。
高校卒業するときになって、思い切って母に相談した。

劇団に入って踊ってみたいという私の希望に、
母はいとも簡単にOKを出す。
当然といえば当然だった。
実は母も小さい頃に舞台にあこがれていた時期があって、
でもその時は両親に拒絶されて夢がかなわなかったのだと。
そう、聞いていた。

父のほうはさすがに難色を示した。
でも、いつにもなく強硬な母親の態度を前に、
結局は折れてくれた。
私のわがままを許してくれた。

こうして私は、卒業と同時にこの劇団に入団した。

この劇団のように売れている場合は、
1年のスケジュールが前もってだいたい決まっている。
公演も鹿児島から北海道まで、日本全国。

その中には劇場のない街もあって、
温泉の舞台なんかはまだましなほうで、
公民館や、時には小学校の体育館ということもあった。

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そんなことのあった翌日は昼公演がない日で、
おこたにあたりながら、同室の恭子さんとのんびりお話をしていた。

私は二十歳になっていた。恭子さんは四つ年上だったと思う。

「きのう、座長にいくらもらった?」
「5千円」
「それぐらいは当然かな。あんたの預かったのいくら位だか分かる?」
「ん〜 わかんない」
「今のご時世、100円とか500円じゃないんだよね〜」
「じゃあ」
「座長、今ごろホクホクじゃないかな」

5千円は今の私にとって大金だ。
なぜなら私の給料は5万円なのだから。
それだけ。それ以外はなにもない。

高校生のアルバイトであっても、もっと給料は多いだろうと思う。

どこの劇団でもこんなもんだと聞いている。
この業界のルールと言ってもいいのだろう。
そのかわり衣食住は保証されている。
私のような踊り子ではなく二枚目の男役者でも、それはかわらない。

好きだからやっていける。
そういう仕事。

一方で、主役と興行の両方を握る座長にお金は集まる。
自分でもお金が欲しいと思ったら、劇団を立ち上げるしかない。

でも、私が子供の頃に比べ、劇団はまちがいなく減っている。
TVとかゲームとか、いろいろな娯楽があって、
車で走れば、都会に出ることが簡単な今は、
こういう劇団にそれほどの需要があるわけでもない。

とは言っても、そんな生活に不満はなかった。
毎日がとても楽しかったし、
ただ綺麗な着物を着て踊っていられればよかった。

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小さな田舎町。
ここでは一晩限りの公演予定。
明日になれば次の街へと移動することになっていた。

夜、舞台がはねたあと化粧を落とし普段着に着替えたところで、
落し物をしたことに気づく。
帯に挿していた小さな鈴がなくなっていた。
急ごしらえの舞台があった場所に行く。

灯りはまだついていた。
よかった。
もし真っ暗だったらどうしようかと思った。
私は暗い場所が小さい頃からとても苦手だった。
今でも。

さきほどまで人があふれていた部屋は、
今はがらんとして、
男の人が一人で椅子の片付けをしていた。

劇団の人ではない。
おそらく地元の人なのだろう。

私の気配に気づきこちらを振り向く。
たぶん私より少し年上。実直そうな雰囲気の男の人だった。

「ここで落し物しちゃったみたいなので、
 ちょっと、探してもいいですか?」

「え? 落し物?
 あ、それってもしかして、これ?」

ポケットから取り出されたものは小さな光をともなっていた。
小さな銀色の鈴。わたしのだ。

「あ、それです」
「どうぞ」

よかった。

「あの‥」
「?」

「さっき、舞台の上で右から2番目で踊ってらした方ですよね?」
「え? あっ、はい、そうです‥ けど‥」
「やっぱり」

わたしの怪訝な顔に気づいたのか、
「あ、いえ。舞台のお化粧してるときとは雰囲気が違って、
 いまひとつ自信が持てなかったから」

私はこの部屋に入ったときから気づいていた。
踊っている間、ただ一人だけずっと私を見ていたのがこの人。
私だけをじっと。
ほとんどのお客さんは、何人もの踊り子を交互に見つめてる。
にこやかに、楽しそうに。
でもこの人は私だけを見ていた。すごく真剣な面持ちで。

気づけば、その人の視線に応えるように私は踊っていた。
まるで二人だけで会話をかわすように‥‥

「お化粧落としちゃうと、普通のコになっちゃうんで、
 がっかりしちゃいました?」
「えっ、いえ、ぜんぜん、そうじゃなくて、
 どっちも‥‥ あの、綺麗で‥‥」


そう言って、彼は照れたように顔を赤らめた。
思いがけない言葉と彼のようすに、私も急に恥ずかしくなって、
うつむくしかなかった。

「もう、ずっと‥ やってらっしゃるんですか?」
沈黙を破る彼のことばに、救われたように顔を上げる。

「‥ちょうど2年ぐらいです、この劇団に入って」
「そうですか」

会話が途切れる。

「来年‥ また来られますよね?」
「はい、多分」

「よかった」

ホッとしたように、彼がその言葉を口にしたとき、
私はその意味をどう考えればいいのか思いつかなかった。

私がこの人のために踊ったこと。
そう。まちがいなくあの時、私はこの人のために踊っていた。
そしてそれは、伝わっているのだろうか。

ヘンだ。
なんで私は、こんなことを気にしてるのだろう。

ふと顔をあげると、不思議そうに私を見つめてる視線があった。

いけない、片付けの邪魔してる。
あわててもう一度お礼を言って、逃げるように部屋を出た。