On Time


「ざけんなよ〜!」

メールを見終わって、真凛は大声を上げる。
会社に着いて更衣室で着替えているところに、篤志からの着信。
例によって激甘メールを期待して本文を見た真凛は、
その衝撃的な内容に怒りをぶちまけるしかなかった。

『悪い。クライアントとの打ち合わせが飛び込んできて、
 今晩だめになった。
 すまん。この埋め合わせはまたする。許せ』

感情はささくれ立ったままだったが、
愚痴っててもしょうがないと自分をなだめ、真凛は仕事場に向かった。
いつもと同じ平静をよそおって席につく。

パスワードを打ち込みログインしたあと、ディスプレイを見て彼女は驚いた。
なぜか異様に処理待ち件数が多い。普段の日の五割増はありそうだった。
なにもかもついてない日か、と小声でつぶやく。
日付変更線を超えずに家に帰ろう!
真凛は気力をふりしぼってPCに向かった。

「せんぱい?」
となりの後輩、内田菊枝、通称キクちゃんが小さな声で真凛に話しかけた。
今年入社の小柄な子。新卒だけど短大だから真凛より3歳ぐらい下になる。

「どうしたの?」
「あの、さっきから先輩キーボード破壊しそうなんですけど。
 親のかたき! みたいに、超ハードヒットしてます。
 それにディプレイ怖い顔で睨みつけてるし。
 まわりのみんなも、なんか怖がってます」
「別に、そんなはず」

菊枝は黙ってバッグの中から鏡を取り出し、真凛に向けた。
鬼のように目の釣りあがった女がそこに‥‥‥

「うっ‥ ちょ、ちょっと化粧室行ってきていいかな?」
「そうしてください」

化粧室に入り、真凛はため息をついた。
自分の姿が鏡に映っている。
姿だけ大人にはなってるけど、中身は子供のまんまだと、
十分にわかっていた。

社会人になってからは、
篤志ともそう簡単には会えなくなっている。

仕事は面白いし、増えた友人達と過ごす時間も愉しい。
でも本当は、篤志との時間がもっとたくさん欲しかった。

「篤志が悪いわけじゃないんだから、いい加減にしないと。
 あんまりくどいと、自分勝手な女だと篤志に思われちゃうぞ?」
そう何度も言い聞かせて、なんとか自分をなだめる。

 Re:了解 本文:今夜の分は貸しとく
 お正月に倍にして返してもらいます

結局仕事が終わったのは9時を過ぎていた。
「キクちゃんが手伝ってくれたんでなんとかなった〜 ありがと」
「いえいえ、いつもご迷惑おかけしてますから」
「じゃ、ご飯食べに行こ? おごるよ。どこでもいいよ好きなとこで」
「あ、いいですね〜 ん〜と、あの店にしません? ほら」

彼女が希望した店は、味が最高で、
なおかつ値段もハイレベルなところだった。

「うううっ‥ そうきたか。  わかった! 女に二言はない!」
「いよっ! アネゴ太っ腹!」
「あの‥ おなかまわりの表現って、ビミョウにうれしくないけど?」
「あ、いや、細かいこと気にしないで」


季節なのか、店はほぼ満席状態だった。

「かんぱ〜い」
ボルドーのグラスワイン、かなりいいものを出していた。
誰にも気兼ねすることなく、女二人は食欲を満たす。

コーヒーが出てくる。真凛はほろ酔い気分で店内を見回した。
ひとつのテーブルに目が留まる。
篤志がそこにいた。

そして、そのテーブルにはもうひとり。
黒いドレスの女がいた。
二人はにこやかに談笑しながら食事をしていた。
真凛は目を離すことができなくなる。

すぐさま女の観察に突入する真凛。

年の頃は30歳ちょうどぐらい。
耳と首もとのアクセサリは多分本物。それもかなり高めの。
仕草のひとつひとつがかなりセクシーだ。
こういう店で男にエスコートされることにも慣れてる。

そして、今まさに目の前の篤志をたらしこもうとしてる。
それは同性としての勘がもたらした結論であって、
同時に真凛にとって、確信を超えた紛れもない事実でもあった。

先ほどまでのおだやかな表情を一変させ、真凛は戦闘態勢に入る。

緊張の走った真凛をみて、菊枝がいぶかる。

「先輩! ど、どうしたんですか、急に?」
そんな問いかけにも真凛は気付かない。
視線をたどり行きつく先には甘い雰囲気のカップルが‥‥

「先輩‥ もしかして‥ あの人‥」
「そう。私の彼氏」
「‥‥‥」

後輩としてフォローしきれない事態だった。

「行ってくる!」
そう言い残してナプキンをテーブルに載せ、真凛は立ち上がる。

フルメタルジャケットで戦闘に向かう兵士の後姿を、
菊枝は、そこに見たような気がしていた。



「あ、あの」
突然あらわれた真凛を見て、同伴の女性が不思議そうな顔をした。

「ど、どうして、ここに」
篤志は驚く。

二人を交互に見比べて、その女性はニコッと笑う。
「な〜んだ、そういうことか。
 ちゃんと言って置いた方がいいわね、私の口から」

ちゃんと、って‥‥ それは‥‥ どういう‥‥
真凛の胸に不安がよぎる。
そんなわけはない! 絶対無い!!! 篤志に限って!

「そんな怖い顔しないでもいいのよ?
 私は、篤志ちゃんの単なるクライアント。
 彼の会社のフランチャイズに加盟しようかと考慮中のオーナー候補。
 それだけ。了解?」

戦闘態勢でアドレナリンMAXとなっていた真凛でも、
その言葉を理解するのにたいした時間はかからなかった。

「あ! ご、ごめんなさい! わたし‥‥」
顔が熱くなる。言葉はしどろもどろになっていた。

「いいのよ、別に」
余裕の笑顔でそう答えた。

真凛は身の置きどころをなくしたままうつむく。
「可愛い彼女ね。彼女見てると、なんかこの頃に戻りたい気もする」

「そうそう。食事が終わったらカレ開放するから、
 どっかで待ってたら? ね?」
「すみません」
間髪を要れず篤志が深々と頭をさげる。
自分の犯した失態が篤志を窮地に追い込んでいる。
そう感じた真凛も同じように頭を下げる。

「ほらほら。こんなとこで二人揃ってそんなことしてたら、
 周りの人が気にしちゃうでしょ?」
「あ、はい」

篤志が真凛に目で合図をする。引き時だ。
立ち去ろうとする真凛の背中に彼女の声が聞こえる。

「でもやっぱり残念だったかも‥」
「え?」
篤志と真凛の二人がその言葉に驚く。
「冗談よ。冗談」

深く頭を下げて真凛はその場を離れた。

真凛たちはすぐに会計をすませ、店を出る。
残された二人は、その後姿を見送っていた。

「さっきの話」
「?」
「まるっきり冗談でも‥ なかったんだけどね」
「!」
「フフッ、そのリアクションが見たくてつい言っちゃうな」
「やめてくださいよ〜」
「わかった。そうそう、契約のほう、明日の午後に会社に来て」
「じゃ?」
「そう。OKよ。よろしくね、ビジネスパートナー」
「はい、こちらこそ」



篤志に嫌われたかもしれない。
近くの喫茶店で真凛は不安な気持ちで篤志を待っていたが、
現れた篤志は別に普段と変わらぬ雰囲気だった。

「歩こう?」
そう言って篤志は手を差し出す。

街はイルミネーションがまたたき、幻想的な雰囲気になっていた。
腕をくんで二人は歩く。

篤志は全く何も話そうとしなかった。
真凛はその無言の時間に耐え切れず口を開く。

「わ、わたし」
真凛の唇に、篤志の指が押し当てられその動きを制止する。

勢いが止まったのを確認できたのか、ゆっくりと指が離れる。

「いま、俺達 On Time だよ」
「え?」
「だから、オレと真凛は予定通りなんだよ、正確に」
「?」
「そして、もうじき俺たちは一回目の着陸地点に着くわけだ」

真凛はキョトンとしたまま篤志を見上げている。

「しょうがないな、年明けてからにしようと思ったけど。
 ほら、指、出しな」
「?」
「はやく!」

篤志の迫力におそるおそる手を出す真凛。
ポケットから何かを取り出した篤志が、真凛の指にそれをはめる。

「とういことで、オレと結婚してくれるよね? 真凛?」

真凛の指には金色に輝く指輪がはまっていた。
一瞬の間があいて、真凛は力いっぱい篤志に抱きつく。
二人揃ってよろけてしまうほどの勢いで。

「おいおい」

そんな言葉を真凛は聞いてはいなかった。
なぜなら、抱きついた瞬間から大声をあげて泣いていたからだった。
まるで3歳の子供のように。

涙か鼻水かも判別できないものが篤志のコートを濡らす。
篤志は仕方なく、真凛が落ち着くのをそのまま待つことにした。
バーバリーのコートがだいなしにならないことを祈りながら。


「もういいか?」
「うん」

「あのさ、もうちょっとなんとかなんないの? 真凛?」

篤志からもらったハンカチで鼻をかんで、真凛がぽつりと言う。
「‥‥‥無理」

「‥だよね。しゃあないな、真凛だもん」

「おっと、そうだ、忘れてた」
「?」
「メリークリスマス! 赤鼻のトナカイさん」
篤志は真凛の鼻をつまむ。

真凛はそのまま目をつぶる。期待するものはひとつ。
鼻をつまんでいた圧力が消えうせ、真凛の唇に暖かいものがふれる。

大切な、大好きな、私の篤志と‥‥‥

ちょっと‥‥ これって‥‥ 熱すぎ‥‥ ない?

唇の感触に奇妙な違和感をおぼえて、真凛は目を開ける。
目の前に距離を置いて篤志がいる。これは変だ。それじゃ‥

「好きだよね、真凛。ピザまん」


クリスマスの夜はこれからだ

- Fin -