〜〜 みちづれ 〜〜


何かが変だ。

幸ニ郎は、自分を捉えて離さない妙な違和感について、
茶店の縁台に腰掛けたまま、ずっと考えていた。


5月にしては殊のほか暑い日だった。
旅籠を出てから小半刻で、幸ニ郎は汗だくになってしまい、
ちょうど目についた茶店に寄って、日陰で涼をとることにした。

みたらし団子が到着するまでの間、周囲を見ることもなく眺めていると、
すぐそばに一人の娘が腰掛けているのに気付く。
幸二郎の胸の中の違和感は、この娘を見て覚えたものだった。

年の頃なら十八ぐらいだろうか。
まだあどけなさが残っているとはいえ、十分に女らしさを持ち合わせている。
なりは質素で、見た目は普通の町娘のようだった。
同伴の人間はいないらしい。

このぐらいの娘が一人旅というのも、普通だったら考えにくいのだが、
東海道のこのあたりはかなり往来が多く、昼間歩くのにさして危険はない。
それが証拠にここまでの道すがら、一人旅の女を幸ニ郎は何人か見かけていた。

その娘の何が変なのか、相変わらず思いつけなかった。

みたらし団子が到着する。
幸ニ郎は思考を中断して、食べることに集中した。
もともとあまり酒をやらない幸ニ郎は、甘いものに目が無い。

あっという間に食べ終え、茶屋の女が継ぎ足してくれたお茶をすすりながら、
幸ニ郎は再び娘のほうを見た。
その瞬間に、幸ニ郎は先程からの疑問の答えを見つけた。

違和感の原因は娘の肌にあった。
旅をするにしては、あまりにも白かった。
湯飲み茶碗を持つ手も透き通るほど白く、キズなどなにもない。
この年齢まで水仕事など一度もしたことがない、人形のような手だった。

どう見ても、良家のお嬢様。商家かあるいは武家か。
どちらにしろ、庇護者のもとで暮らし、
必要なとき以外あまり外に出る必要のない生活であることは、明白だった。
ピンと伸びた背筋も、幼少からの躾を窺わせていた。

ではなぜ一人で旅を?
さきほどの答えは次の新たな疑問を生じただけで、
結局、幸ニ郎のもやもやは解消されず仕舞いだった。


幸ニ郎はもうじき二十五になる。
商家の次男として生まれたが、すぐに店に入ることなく、
父親の意向に沿って、武家の子弟と同じような教育を受けてきた。
本人としては、それほど勉強が好きなわけでもなく、
高等な教育が商人として働くのに必要とも思われず、
父親にもそのように言ったことがあった。

しかし父親は頑として幸ニ郎の意見を聞き入れなかった。

「これからは商人であっても幅広い視野が必要になる。そんな時代がきっと来る。
 知識量が不足すれば、おまえの商いの切っ先も鈍るだろう。
 おまえは俺の子供だ。商才の持ち合わせは十分にあるはずだ。
 急がば回れということだ。
 いろんなことを知り、いろんな人と会え。それがお前のやるべきことだ」

そんなわけで子供の頃からの友人が大福帳を手にし始めた頃になっても、
幸ニ郎は連日、四書五経や古の書物などと格闘をしていた。

ほんとにこれでいいのかと、
幸ニ郎は疑問に思いながらも素直に父親の言葉に従っていた。

時が経ち店に入った幸ニ郎は、
それこそ水を得た魚のように生き生きとしていた。
素晴らしい速さで商いを覚え、
ほどなく兄の右腕として、なくてはならない人間となっていた。
回り道と思えた数年が、幸ニ郎に新たな才能を追加していた。

先日、既に隠居同然となっていた父親が、身を粉にして働きつづける幸ニ郎に、
ちょっとした休みをとるように意見をしてきた。
生家の仕事だけを見てると了見が狭くなるから、というのがその理由だった。

兄の強烈な支持もあって、幸ニ郎は旅に出ることにした。
単なる物見遊山のはずが、生来の生真面目さゆえ、
各所の大店に立ち寄っては、熱心に商売のやり方を研究することも多かった。
とはいえ、旅の終りにさしかかり、ここ数日は箱根の温泉につかったり、
浜の宿で伊豆の刺身を食したりして、それなりに普通の旅をしていた。


「さっきはおいしそうに食べていらっしゃいましたね」

過去に思いを巡らせていた幸ニ郎の耳に、涼やかな音色の声が届いた。
ふと前を見ると、先程の娘が幸ニ郎のほうを向いている。
どうやら幸ニ郎に話し掛けているらしい。

不意を突かれ、幸ニ郎の対応が一瞬遅れた。

「それに、なんかとっても幸せそうで、
 見ている私のほうが気持ちよくなってしまいました」

娘はそう言うと、にこやかに微笑んだ。
言葉の中身も驚きだったが、それよりもその笑顔に幸ニ郎は衝撃を受けた。

娘は、今になって見知らぬ男に声を掛けたことが恥ずかしくなってきたのか、
頬を染め、うつむいている。

幸ニ郎はやっとのことで娘に言葉を返した。

「見られちゃい‥ ましたか」

「家族にもしょっちゅう言われるんですよ。
 幸ニ郎が甘い物を食べる姿は、三歳の子供と同じだと。
 お酒がもともと不調法でして、
 ま、商人としちゃ珍しい部類になるんでしょうが、甘いもの一本槍なんです」

無口な幸二郎にしては、一気に言葉をつなげていた。

「でも、ここの団子はとても美味しかったんですよ。ほんとに」
と、弁解をする幸二郎。

「ええ、それは私もそう思いました。
 でも、私の父なんか、何食べてもしかめ面のまま『うまい』というだけで、
 半紙を束ねて味噌をつけて出しても同じじゃないのかって、
 そう思う時もあるぐらいで」

「それは‥ ちょっと」
この娘ならやるかもしれない‥‥ 幸二郎は一瞬そう思った。

「あ、今の冗談です。いくら私でもそんなことはしません。
 けど、男の人ってそういう人多いですよね?」
「まぁ、そうかもしれませんね。そう言う風に育てられて来たのもあるし。
 食い意地の張ってる人間だと思われるのは、
 やっぱり江戸っ子としてはちょっと」

「あの‥‥ 失礼ですが、江戸の方ですか?」
「えぇ。家は本所吾妻橋の近くです」

急にまわりがざわめいてきた。見回すと客が増えている。
誰もが同じように、ここらあたりで喉が渇くのかもしれなかった。

「なんか混んで来ましたね」
「そうですね」

忙しそうな給仕に声を掛け銭を置き、そろって席を立つ。

なりゆきだった。二人は連れ立って歩き始める。
別にあえて離れて歩く理由もなかった。

せわしなく行き交う旅人に混ざって、二人だけがゆっくりと歩いていく。

「私の実家は、泉岳寺の表参道に近いところです。
 泉岳寺ってご存知ですか?」
「泉岳寺ですか? 名前だけは。
 行ったことはないんですが、あそこの鐘の音は聞いたことあります。
 近くに知り合いがいますので」

「意外に思うかもしれませんが、結構うるさいものなんですよ、あれ。
 私は子供の頃からあの鐘の音と一緒に育ってて大丈夫なんですが、
 他所から来た人は最初大変みたいです」
「へぇ〜 そうなんですか」

幸ニ郎は目の前の娘のことを好ましく思っていた。
しかし、だからどうする、というような思考回路の持ち合わせは
幸ニ郎にはなかった。
この何年間か、幸ニ郎は仕事一筋で男女の機微などに触れたこともなかった。
だいたい、この瞬間の自分の感情がどういった代物なのかさえ、
本人は気付かずにいたぐらいだった。

でも、それと無関係に二人の会話は淀みなく続いていた。
傍から見れば、恋人か夫婦のように見えたに違いなかった。