「だめ! これは」

最後の一枚を胸元でかき合わせる女。
そんな女の姿を、着衣のままの男が真上から見つめている。

さきほどまで女が着ていた幾枚もの衣はほとんど剥ぎ取られ、
残されたのは小袖とそれを止める短い帯だけとなっていた。

解き放たれた朱色の上着は置き畳の上に広がり、
まるでこれから二人に訪れるであろう歓喜の時間を待っているかのように、
折り重なる内着と混じりあって、あでやかな模様となっていた。

部屋は片隅に行灯がひとつ。
満月のあかりも、この閨まで届くことはない。

そんなかすかな灯りの下でも、
女の顔はひと目で見て取れるほどに紅潮していた。
期待と不安の入り混じった想いの中で、身の置き所をなくしていた。

「考えもしなかった、そのかたくなまでの拒絶‥ 
 もしかしたら‥‥
 私のあなたへの想いは、本当は、迷惑なこと‥‥
 だったのでしょうか?」

問われていることの意味がわからず、女は怪訝な顔をする。
しかし、自らの挙動が誤解されていたことに気づき、あわててかぶりを振る。

「‥‥い、いえ、そのようなことは‥ けっして」
「だったら」
「あっ」

男は女の両腕を押さえつけ、首筋に唇を這わせる。
思いもよらない愛撫の始まりに、女は反射的に顔をそらす。
無防備に開かれた白いうなじを、男はあますことなく愛撫する。

唇が皮膚の新しい場所へ触れるたびに、かすかな喘ぎ声が漏れてしまう。
それが自らの発した声とわかり、女は恥ずかしさのあまり目を閉じる。

思いをめぐらせ、そしてたどりついた場所。

たとえ一夜の歓びであっても、今はこの身を任せて‥‥
そんな覚悟を決めたとき、急になにも触れなくなっているのに気づく。
どうしたのだろう?
甘い時間が終わりを告げたような悲しい錯覚をおぼえて‥



そのとき、衣に押し付けるようにしていた反対の頬に‥ なにか‥
それは‥ そう。男の頬。ゆっくりと頬が押される。
なすがままに顔の向きをかえる。不思議な安堵を覚えながら。

再び訪れたことのない場所に、唇が雨となって降り注ぐ。
女は、さきほどまでのくすぐったさのような感覚が、
少しずつ快感を伴ってきているのを感じていた。
そしてそれが、あろうことか自らの下半身にまで影響を与えはじめていることも。

唇が触れるたび、思いもしない淫らな声を上げてしまうのと同時に、
用を足すときと障りの日にしか意識したことのない秘めた場所が、
明らかに受けた刺激とつながったようにうごめいてしまうこと。

そんな女の思いとは無関係に、唇は首筋から下の方へと向かっている。
小袖の胸元、あわせに阻まれたのもつかの間、
まるで生き物のように、口先で器用に重なった布を広げ始める。
そのとき、男は女の姿をこの目で見たくなり、体を離す。

うっすらとした明るさの中で、開かれた胸元の白さが強烈な印象を生み出す。
男がそれを見据えたのはつかのま、引き寄せられるように胸の谷間に口づける。

唇がとらえたきめ細かな肌の感触。頬にあたる柔らかな隆起。
それらはわずかに残った男の落ち着きを、一瞬の間に根こそぎ奪い去っていた。

男は女の両手を離し、その背中にまわし抱きしめる。
この世にふたつとないものを手中にしたかのごとく。
やさしく。いとおしむように。

くびきから放たれた女の両腕は、一瞬のためらいのあと、
ゆっくりと、あくまでゆっくりと男の背中に置かれた。
そしてこらえていた思いの分だけ、男の体を下から強く抱きしめる。
その意外な強さに、男は今夜はじめて心から安堵した。
これから始めることすべて、二人が同じように熱望していたことを知って。

その間も唇は、ひとが触れたことのない場所を探りつづけていて、
左右の盛り上がる胸の頂きをめざすかのような動きも、
意図的に時折混ぜられていた。
そのたびに女の息がとまり、体がうち震える。

胸元から押し寄せる微妙な刺激をこらえることもかなわず、
女の口からは、さらに明らかなあえぎ声がとめどなく漏れ始める。

今、女は、男のもたらす愛撫をすべて受け止め、
心も体も歓びの中にいることを、恥じることなく伝えようとしていた。

御簾のむこうでは、今宵を盛りと虫の声が騒がしいほど。
しかしそれを聞く余裕など今の二人にはあるわけもない。

二人の息遣いと唇を吸いあう音が交互に部屋を満たしていく。

長く甘い時間が過ぎ、二人はつかのま唇を離し息を整える。
動悸が落ち着き始めたとき、女はふと視線を感じた。



「目を開けてごらん?」
ずっと目をつぶったままだったのに気づく。
うながされるように目を開く。

目の間に穏やかな笑顔があった。

「やっと見られた」
「?」
「君の顔。やっと見ることができた。
 いつもいつも簾だとか扇だとかが邪魔をしていて。
 しっかり見ることはできなかった。
 一方であなたは好きなだけ私を見ていられたのだから、
 なんか不公平だなって思っていたのですよ、実は」

くすっ。
子供のように不満を漏らすその姿を見て、
女は思わず笑い声を漏らした。

「よかった」
「え?」
「笑ってくれた。あなたの笑顔を見たのは初めてのような気がする」
「そう‥ でしたか?」
「多分」
「でも‥ それは‥」

通い始めてくれたときに、あまりにもあからさまに喜んでは‥
そんな思いが逆に表情を硬くしていたところがあった。

「もう、それもいらないだろ?」
女が考えていたことを男は気づいていたようだ。さらに言葉を継ぐ。
「だって、ほら。 ‥私たちは、もうこんな状態になってるわけだし」

あらためて今の二人の状態に思い当たる。
置き畳の上。小袖さえ胸元が大きく開かれ、身を隠すのには充分といえない状態。
そしてこれから始まること。話でしか知ることの無かった男女の閨。
一度醒めていた顔が再び赤くなる。

「いいね」
その言葉にも、小さくうなづくのが精一杯だった。

帯がいとも簡単に解かれる。
そして小袖が肩から抜かれるときには、知らず知らずそっと肩を持ち上げていた。
背中を通過するときには腰を浮かし‥‥
あるいは二人で何度もそうしていたかのように、ごく自然に。

身に着けていた最後のものは、衣擦れの音を立てて一気に抜かれた。
もうなにも‥ 体を覆うものがない‥



こみあげる恥ずかしさのなかで、再び、身体を刺すような視線を感じる。

薄目をあけて様子をうかがうと、すぐかたわらに男が座っていた。
自らも服をとりさり裸となって、女の姿を飽くことなく見つめていた。

「いや!」
女は、あわてて足元の衣を手探りで引き寄せる。
強い力でそれは阻止された。

「だめだ」
男の力の前に、その抵抗は無意味なものと化す。

再びあらわになった体に男は覆い被さる。
唇が胸の頂きをとらえ、吸っては放つ動きをくりかえす。
片手は首の下に入れられ肩を抱き寄せ、
もうひとつの手は下半身の茂みへと向かう。

同時に起きたことごとに混乱して、女は一瞬体をこわばらせる。
そして、もっとも恥ずかしい場所に置かれた手をしっかりつかんだ。

乳首の接触感が失われる。耳元でささやかれた。
「こわくないよ? 楽にして‥ 私に任せて‥」
もう片方の男の手が、やんわりと女の手を引き離す。

広げられた下肢の間に男の手が入り込む。
ひだの形をなぞるように指が上下する。
あえて合わさった部分を押し開くこともせず。幾度も。

やりきれない思いに女は両手で男の肩をつかむ。
突起の上の包皮に指が思いついたようにとどまる。
かすかな圧迫。そして開放。
ただ女だけがわかる、それでも充分な刺激。
指のかすかな動きにあわせて、その都度、体が震える。

左右の胸の頂きでは、その間も唇が戯れるように遊んでいる。
同時にもたらされるそれらの刺激に我を忘れそうになる。

包皮の下でそれが急速に膨らむのを女は気づく。
もっと愛撫を受けたいかのように、それは硬くなり充血し、包皮を押し上げる。
男もその変化を指先に感じていた。

位置を変え中心にあてられた指。
力がこめられ、徐々にひだを押し分けるように進む。
それに対する抵抗はなにもなかった。

いや、逆に、押された瞬間に中から溢れ出した液体が指にからみつき、
滑らかに奥への移動を促していた。

谷間をゆっくりと上下する指。そしてそれにからみつく動きを見せるひだ。
意思とは無関係に男の指を捉えようとするその部分は、
媚を売るように迎え入れ馴染もうとしている。

男の両足が下肢を割って入る。
なすすべもなく待つ。

手が女の膝をつかむ。引き上げるように曲げる。
もう片方も。
そして入り口に硬いものが押し当てられた。
これから始まることを理解して、女は息を詰める。

無理矢理に。引き裂くように侵入が開始される。
女は男の肩を押しやり上のほうに逃げようとする。
しかしそれは無理だった。二の腕をつかんだ手が阻止している。

なにかが弾けるように、切られていくような痛み。
先ほどまでとは違う懇願、そして要請をくりかえし叫ぶ。
しかしそれにひるむことなく男は突き進む。

女の絶叫とともに男の動きが止まった。
不思議に思って目を開けた女は、目の前の顔に焦点が合わないことに気づく。
あまりの痛みに知らず知らず涙が出ていた。

男の指がその涙をぬぐう。
「?」
女の問いかけに、男は微笑みながらうなずく。
痛みは減ってはいなかったが、いとおしさがこみあげ、
そのまま男の背中を抱きしめる。

男が動き始める。ゆっくりと。
そしてしまいには大きな振り幅で腰を打ち付けるように。

体を貫き蹂躙しているそれは、決して快感を呼び込むものではなかった。
しかし今この時間こそが、自分の欲していたもの。
それだけは疑いようもない事実だった。
痛みは弱まることなく続いていたが、
喜びがそれを上回る勢いで体中にしみわたっていく。

小さな声と同時に、腰をおしつけるようにして男の動きが止まった。
終わっ‥ たようだ‥
そのままくちづけが交わされる。

唇が離れたとき、唐突に思い当たる。
あられもなく膝を立て、男を迎え入れてる自分の今の姿。
少しでも視線から避けるかのように、胸に顔をうずめる。

頃合を見て、紙を押し当てながら男が離れた。
かたわらの上着を取って女の体にかける。



「いつ‥ こちらを発たれるのですか?」
男のほうを向くこともなく、女は淡々と話し始める。
問い詰めたいのではない‥ 誤解もされたくない‥‥

「‥‥明日の朝。参内して挨拶にまわったあと、その足で」

男は遠く離れた任地に赴かなければいけなかった。
その予定は前と変わらず、明日には避けようもなく訪れるはずのもの。
それは、ここに通い始めるよりもずっと以前に決まっていたことでもあった。

気持ちの中で、幸福であることと恨みに思うこととが、ないまぜになる。
いまさらそれを伝えても迷惑となるだけ。
今夜のことは‥ 抱かれたいと自分が心から願ったからこそあったこと。
すべてはわかっていたこと。納得していたはずのこと。

女は無言のまま男の手を取り、目を見つめ、自らのそばに引き寄せる。
横たわらせ、その腕を自らの首の下にまわして腕枕させる。胸に手を置き鼓動を聞く。

冷静にも見える一連の行動に、男はとまどいを隠せない。
「怒っては‥‥ いないのですか?」
男の唇に人差し指が押し当てられ言葉がさえぎられる。
「このまま‥」



「ひとつだけ聞かせて欲しいのだけど‥ この香りは?」
どれぐらいの時間が過ぎたのだろう。
天井を見上げたまま、男が問いかけを口にする。

「‥これは ‥母と同じ物 ‥ですけれども」
「道理で」
「?」
「いや、昼に君のご両親とお会いした時にもね」
「!」
「同じ香りがしてた。そうか、母上と同じ香だったのか」
なぜ? どうして?

「つかのま殴られそうな場面もあったけど、なんとか了承してもらったよ?」
そう言っていたずらっぽく笑っている。それは‥ もしかして‥?

「ということで、明日は昼前にはここに来られると思う。
 ちゃんと旅の支度をしておいてくださいね、あなたのほうも」

「‥でも ‥ここからでは ‥方向が任地とは逆で‥」
急な展開についていけず、女は見当はずれの質問をする。

「方違えでね。ここを通るとちょうどいいんだよ。
 いけない、そろそろ明日の準備もあるから一度家に戻らないと‥」

そう言いながら起き上がろうとした男の手はとらえられ、
体勢を崩したまま女の腕の中へと倒れこむ。
そのまま二人の唇が、こすりあわされ重ね合わされる。

「もう一刻ぐらいは‥ かまわないか‥ 歌を考える必要も無くなったし」
そんな言葉と同時に、上着が音も無く二人の体を覆う。


既に月は南の天上に位置し、庭からは一層強く虫の声が聞こえていた。
その中にとぎれとぎれに混ざる、吐息ともうわ言ともつかない女性の声は、
先ほどの悲痛な叫び声とは、明らかに趣が違っていたのは確かなこと。

秋の夜長。
二人のたてるものおとは、明け方まで続いていたとか‥


(了)

illust : http://fine.tok2.com/home/bookend/
初出:おんなのこでも感じるえっちな小説5 2003/09/29