雛祭り


「これは?」
「おだいりさま!!」
「これは?」
「おひなさま!!」

「こっちがパパでこっちがママで‥
 えっと、えっと‥ ママ?」
「な〜に?」
「理香は、理香はどこにいるの?」

思わず笑ってしまう。
なりゆきで、三人官女のひとりを理香にしてしまった。
とりあえず納得した様子。

長女の理香は今年で4歳になる。
早いもので、
和男と結婚して山下の姓を名乗るようになってから、すでに5年になる。
ハネムーンに授かって、すぐにつわりがきて。
妊娠したことを和男に告げると、とても喜んでくれたのを覚えてる。
もう少し、和男と二人っきりの時間が欲しかったけど、
和男のクシャクシャの笑顔の前で、そんな思いは消し飛んでしまっていた。
私はその翌月仕事を辞め、専業主婦になった。

「ママ、でも変だよ?」
「なにが?」
「だって、あと二人はだれなの?」
「それはね」

和男は、たくさん子供が欲しいと言っている。
自分が4人兄弟の末っ子で育ったためもあるんだろう。
確かに一人っ子というのも、理香にとってよくないことだと思う。
私も今のうちにもう一人欲しかったし。
来年は30歳になるのだから。

「理香の妹よ」
「だって、今いないよ?」
「うぅん、これから生まれてくるのよ」
「そうなんだ‥ フーン。早く会いたいな、理香のいもうと」

都心から離れたアパートに結婚以来住んでる。
和男はプログラマ。帰る時間が一定しない。
時には会社に泊まって帰らないこともある。
理香に対してはとてもやさしいパパだ。
私に対する態度も、結婚する前と全く変わっていない。
あいかわらず「真由〜」って叫びながら抱きついてきたりして、
梨花の目の前でもそれをやるので、ちょっと恥ずかしいけど‥‥

「理香、お雛様、一人でできるかな?」
「うん、できるよ」

一人前に扱われたことが、嬉しそうだ。
理香に飾り付けを任せ、少し離れたダイニングの椅子に座る。
ぼんやりと出来上がっていく雛壇を見つめていた。

どのくらい前からだろう。私の心の中に一つの疑問が湧き起こっていた。

これでよかったのだろうか?

といっても、和男と結婚したことを悔やんでるわけではない。
愛する夫と可愛い娘、そして自分。
三人で暮らす日々はとても幸せだと思う。間違えようもなく。
心配なのは和男が仕事のし過ぎで体を壊すことぐらい。

じきにもう1人子供が増え、4人家族になり、
私は、妻として母親として、家庭を支えていくことになる。

でも、それでいいのだろうか?

脈絡もなく浮かび上がる、答えようもない問いかけに、
私はただとまどうだけだ。

「ママ? ママったら!!」
「エッ? ああゴメンね、考え事してた」

見るとお雛様はキレイに飾り付けられていた。

少し離れたところで、大人のように腕組みをして立つ理香。
「よし、カンペキ!」
いつのまにかパパの口癖の真似をするようになった。
イントネーションまで、そっくり。

「うまくできたね」
「うん、とっても楽しいね、並べるの」
「そう、ママもちいちゃい時、これ大好きだったんだ」

そのとき、表で声がした。
「あ、よしこちゃんだ!」
駆けていく理香に声をかける。
「暗くならないうちに帰ってくるんですよ」
「ハァ〜イ」
靴を履くのももどかしく、
理香はドアをあけて外に飛び出して行く。
パタパタと足音を残して。



向かいの家の上村好子ちゃんとは大の仲良し。
毎日毎日、飽きもせずに遊んでいる。
他人が見れば、年齢の近い姉妹だと思ってしまうかもしれない。
なんとなくそんなことを考えていた、その瞬間だった。

「キィーッ!!」
車の急ブレーキの音。
そしてそれに続いて子供の泣き声。
その声は‥ 理香!!
私は裸足のまま外に飛び出していた。

階段を駆け下りていくと、道路に理香が座り込んでいるのが見えた。
そしてそばに好子ちゃんが立っていた。
二人の近くには赤いスポーツカーが止まっている。
運転席からドライバーが降りようとしていた。

理香のそばに駆け寄る。抱きしめ、少し体を離して様子を見る。
「大丈夫、ぶつかってはいません。驚いて転んだだけです」
声のした方を見ると、先ほどのドライバーがそばに立っていた。
男の声はとても冷静だった。言ったことが全面的に信頼できるほど。
とても濃い色のサングラスを掛けている。表情は分からない。

「そうなの? 理香?」
「うん‥‥ ぶつかって‥‥ ないよ」
ほっとしたと同時に、急速に体の力が抜けていく。
好子ちゃんにも声を掛けて、別条のないことを確認する。
どうやら、この子たちが飛び出した瞬間にこの車が通りかかって‥‥
しかしドライバーのとっさの反応で何事もなかった、
ということらしい。

「すみませんでした」
サングラスを外したドライバーが頭を下げる。
あげた顔を見ると、私と同じぐらいの年齢だろうか。

あわてて言った。
「いえ、この子達が急に飛び出してしまったのが原因ですし。
 それに、けがもしてないようですから」
「病院、行きましょうか? 一緒に。転んでるので、何かあったら」
「転ぶぐらいで怪我してたら、
 この子達、今頃半身不随になってます。
 子供って、そういうもんですから」
所帯持ちではないのだろう。子供の事を知らないようだ。

「でも‥」
「大丈夫です。心配要りません」
「わかりました。一応、名刺お渡ししておきます。
 何かありましたら、こちらに連絡ください」
カタカナの名前の会社名のありふれた名刺。
『葛城 静雄』と言う名前。
「じゃ、一応お預かりしますね」

「あ、そうだ、ぼくの携帯の番号、教えておきます。
 出張も多いから。」
言われるままに私のナンバーを言った。
1秒ほど繋がったところで切る。
「これでいいですね」

車が出て行くとき、理香は「バイバ〜イ」と手を振っていた。
立ち直りが早すぎると思ったが、これが子供なんだと思いかえす。

二人を連れそのまま向かいの家に行き、
好子ちゃんママに事情を説明して、お詫びしておいた。
やはり、私がちゃんと見ていれば、と言う思いはぬぐえなかったし。

「でも、この子達を押さえつけておくの、ほとんど無理よね。
 ウサギさんみたいに走り出すから。それも突然にね!」
和枝さんは私と同じポジションで嘆いている。
少しは気が楽になった。
当のウサギさんたちは、
母親たちの会話など他人事のように、じゃれあっている。

「さ、帰りますよ。今日は家で一人で、大人しくしてなさい」
「やだ〜っ」子供たちが合唱する。
「だめっ」「やだ」押し問答が続く。
「ちょっと紅茶でも飲んでいきません? 真由さん」
和枝さんが助け舟を出した。
「それじゃあんまり‥、」
「いいのいいの。どうせこの子達引き下がらないんだから」
「そうね‥じゃ、お邪魔しちゃおうか」

これを聞いた瞬間、子供たちは家に上がりこんで遊び始める。
「どこもなんともないわね、理香ちゃん。あのようすじゃ」
そういうことなんだろう。何もなかったみたいだ。

しばらく、紅茶を飲みながらたわいもない噂話なんかして。
話題がふと途切れたとき、
「ごめんね、ちょっと聞いていい?」
小さな声で和枝さんが言った。
「真由さん、なんか悩んでることあるの?
 あっ、私の勘違いならそう言って。
 結構、早とちりで人に迷惑掛けてるから、私」

「和枝さん」
「え?」
「自分はこのままでいいのかな‥ って考えたことない?」
「なにそれ?」
「だから‥ 子供を育てて、旦那の面倒見て‥
 そんな毎日がずーっと続くわけでしょ? これからもね。
 うぅん、それが嫌だってことじゃなくてね」

和枝さんしばらく黙ってた。
そして、言葉を選びながら話し始めた。

「私は、このままでいいな。
 自分が必要とされてることって、気持ちいいじゃない?
 それだけでいいな。
 っていうか、真由さんみたいに人生難しく考えたことないし。
 ほら、それが証拠に、できちゃった婚だったりするわけで」
和枝さんは笑っている。

そう、
意味もないことに迷っては、いけないのかもしれない。
和枝さんの言うとおりなんだろう。そう思った。



翌日、預かった名刺を見て携帯に電話した。

「葛城さんですか」
「はい、葛城です。あっ、もしかして昨日の方ですか?
 山下さん、でしたよね。
 お子さんどうでしたか? 大丈夫でしたか?」
「全然。なんともありませんので、それだけ報告しておこうと思って」
「そうですか。それはよかった」
「でもね」
つい言ってしまった。
「家に帰ってきた主人が、めずらしく怒っちゃって。
 この狭い道を、その無神経なドライバーは‥、
 あ、いけない。聞かなかったことにしてください。今の。
 子煩悩で、みさかいがつかないんです、うちの主人。
 もう今朝は、なんともないですから」
「いや、そういうわけには‥‥」
「ごめんなさい、余計なこと言っちゃって」
「そうだ、今晩でもお詫びにうかがいますよ」
「いえ、そんなこと」
「確かにスピード出しすぎてましたし。
 ご主人のおっしゃることも、もっともな話ですし」

そんなに気にしなくてもいいのに。
事故は起きなかったのだし‥‥

「いえ、気持ちの問題です。そうしないと私の気がすまないんで」

その晩、葛城さんは家に来た。
生憎なことに、和男はプログラムの仕上げとかで、
食事も会社で済ますから、と連絡があった。
好子ちゃんママの和枝さんからも、
「ウサギちゃんたち、一緒にこっちで食べさせちゃうからよろしく」
って電話があって。
結局、うちにいるのは私だけ、と言う状況だった。

手土産は、聞いたことのあるコンフェッティのチョコレートケーキ。
一応形ばかりの話が済んで。
「そうだ。葛城さん、ごはん、食べていきませんか?」
「えっ?」
「あの、主人も理香もさっき突然に夕食キャンセルで、
 ごはん食べてくれると助かるんですけど」
「でもそれじゃ‥、」
「それともお食事がもう済んでるとか?」
「いえ、まだなんですが」
「じゃ、いいじゃないですか。それとも‥
 奥様とか彼女とかがお待ちとか?」
「今、ひとりぐらしなんで別に」
なんか、一瞬顔が曇ったように思った。

葛城さんが何かを言おうとした瞬間、どこからか、グゥと音がした。
それは葛城さんのお腹からだった。
一瞬の静寂。私はつい笑ってしまった。
「はいはい。すぐ用意しますから」
音の主はハプニングに身を縮めて恐縮してる。

「いいもんですね」
葛城さんの視線の先にあるのは、雛飾りだった。
「母から貰ったもので、そんなにいいものじゃありませんけどね」
「いやぁ、こういうの子供の頃、家になかったから。
 男ばかりの兄弟でね。まあ殺伐としてましてね」
私は一人っ子だったので、
「殺伐」の持つ雰囲気はいまひとつピントこなかったが。


「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
「うらやましいな、ほんとに」
「はい?」
「いやぁ。家に帰ると奥さんがいて、こんな料理食べられるなんて。
 ご主人がうらやましい、と思って」
「葛城さん、いつもご飯は?」
「一人暮らしなもんで、コンビニが多いですね」

電話が鳴った。和男だった。
謝りに来た人をすっぽかしてしまったので、気になったらしい。
電話を替わってもらった。
少し話をしただけで、受話器はこちらに帰ってきた。
「きのうは一瞬ヒートアップしちゃったけど、
 葛城さんが悪いわけじゃないから、気にしないでくれって言っといたよ」
「そうね。あ、そうだ。今ごはん食べてもらったの。
 だって、あなたも理香も、急にご飯いらなくなっちゃったでしょ?
 地球環境保護の視点から、協力してもらいましたから」
受話器の向こうで和男が笑ってる。
「そりゃよかった。国連から表彰されるかもしれないな。
 こっちはまだまだかかりそうだよ。真由、先に寝といて。じゃ」

「僕帰ります。ご主人にもお詫びできましたし。
 居心地良くて、つい長居してしまいました。
 どうもごちそう様」
そう言って、葛城さんは帰っていった。


入れ違いに、理香が上村親子に連れられて戻ってきた。
「今の人‥ お客様?」
「ほら、昨日の人が謝りに」
「な〜んだ、そうか。つまんない」
「何それ?」
「真由さん、昨日言ってたこと、さっそく実践してるのかと思って‥」
「??? やだ!」
「おやすみ!」
突っ込み返す間を与えず、上村親子は帰っていった。


「理香、ケーキ頂いたよ。食べる?」
食事の後片付けを終え、手をふきながら、
テレビを見ていた理香に声を掛けたが、反応がない。
近寄ってみると、ぐっすり寝ている。
かかえあげパジャマに着替えさせ、ベッドに運ぶ。
遊び疲れたようだ。

私もシャワーを浴びて、床につく。
話の途中で葛城さんが見せた「かげり」は、
一体なんだったんだろう、と考えてるうちに、
いつのまにか眠ってしまった。

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