『最後の手紙』




2nd mail ニューヨーク ダウンタウン:


「帰ってください!!」

私が来訪の目的を告げた瞬間、彼女は表情を一変させ、
大声とともにドアを閉めた。

アパートメント中に、ドアの発したバタンと言う音がこだまする。

古過ぎて木目の消えたフローリングは水を弾く気が全く無いようだ。
私の歩いてきた靴の跡がそのまま残っている。
壁のしっくいには雨漏りの跡があちらこちらにあって、
色分けされた世界地図を思わせる不思議な模様となっていた。

気を取り直して、もういちどノックをする。
二回目のストロークの直前に、ドアに激しく何かがぶつかる音がした。
ビールの空き缶かなにかがぶつかった、そんな感じの甲高い金属音だった。

「帰ってって言ってるでしょ!!
 あまりしつこいと警察呼ぶよ!」

「……ですが、お預かりしてる貴女宛の手紙を」
「だからいらないって言ってんだろ!
 勝手に死んだあんな奴の手紙なんかいらないんだよ。
 とっとと持って帰って、そう、燃やしちゃって!
 じゃね!」

扉の向こう、遠ざかる足音。
私は、もう少し待って再びチャレンジしようか、
一旦ホテルに戻って、夕方にでも出直すか、決めかねていた。


表向き、退役軍人会の外郭団体がこの仕事の依頼主となってはいるが、
実際のスポンサーは国防総省だった。
だから、これ自体を単なるパフォーマンスだと言う人もいる。
しかし、私にとってそんなことはどうでもよかった。

手紙を渡し、目の前にいる人の気持ちを少しでも和らげることが出来れば、
それだけでいいと、そう単純に考えている。
長く生きてきたことがこんなことで少しでも役立つなら……
それがこの仕事に対する私自身の正直な思いだった。

マニュアルには、今のこのような場合も想定されていて、
どうしても受け取りを拒否する場合には諦めてもいいことになっていた。
でも私はそんな報告書を書くことはしたくなかった。

やはり改めて出直そう、そう決めた。
悲しみは時間だけが癒すことが出来る。
しかし私の届ける手紙は、愛する人が二度と戻ってこないという決定的な事実と、
忘れかけていた悲しみを、再びよみがえらせてしまう。

私は階段をゆっくりと降りた。
一番下までたどりついて、立てかけておいた傘を手に取った。
「あの……」
「?」

玄関のそばの部屋のドアが開いて、そこに一人の老婦人が立っていた。
品のいい白人の女性だった。

「チェーンをかけたままでごめんなさいね。あなたは‥?」
「えぇ、スティーブ・パウエルさんのご家族に最後の手紙を届けに」
おびえさせぬようにゆっくりと内ポケットから手紙と身分証明書を出し、
それを彼女に見せた。

一度ドアが閉じチェーンを外す音がした。再びドアが開く。

「どうぞ、中へ」
招かれた先はこざっぱりとした居間だった。
「あの‥」

「あ、ごめんなさいね。さっきあなたに怒鳴っていたコは私の娘なんです」
 ほんとに許してね。あのコ、もう自分が自分で分からなくなってるの‥‥」
日本式に深く頭を下げられ、私は彼女の肩に手をかけ、その必要がないことを説明した。

先ほどの女性がスティーブの愛した人であることは見た瞬間にわかっていた。
そしてその怒りが私に向けられたものではないことも。
なぜなら、私はそんな光景をこれまで幾度も見てきたのだから。

勧められるままに椅子に座る。

「彼は最初単なるこのアパートの住人でした。
 あ、ここは主人が残してくれた唯一の財産で、ずっと私たちの生活の中心でした。
 そうでなければ主人が亡くなった後、
 娘と二人だけで、この街で暮らすのは無理だったでしょうね‥‥たぶん‥‥n」

「‥ごめんなさいね、話がそれちゃって。
 スティーブはきちんきちんと挨拶をしてくれて、お家賃も滞ったことなくて
 私としてはいい人に貸したなと、そう気楽に考えていました」

「彼は近くのレストランでボーイをして働きながら、舞台を夢見て役者の勉強をしてました。
 そして、気がつくといつのまにか、彼と娘は好き合うようになっていました。
 私は反対しましたよ、えぇ。娘には普通の結婚をさせてやりたいですから」

今のアメリカ合衆国は昔とは違う。
KKK団が白い衣装で禁忌を犯した男女を罰するために暗躍する時代ではない。

とはいえ、親というものは、自分の子供が、
ごく普通の相手とごく普通の結婚をしてくれることを望んでいる。
最初からハードルが一枚よけいにある人生のトラックを娘が選ぼうとしたなら、
やはり止めにまわる。それは私であっても例外ではない。
肌の色の違うボーイフレンドを紹介されたら、少なくともとまどうのは必至だ。

「でも、駄目でしたね。二人がそろって私の前に座り、切々と訴えてきて‥‥
 ああいうとこ、娘は主人に似て頑固でしたね。決してあきらめない。
 なんかもう、あのコたちの真面目な思いに、私は結局負けちゃいました」
思い出したように微笑みながら婦人はそういった。

「親って、弱いもんですね」
「えぇ。子供には結局甘くなっちゃいますね」
私は本心から相槌を打った。

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「なにこれ? ちゃんと説明して、スティーブ?」
帰って早々、スティーブは怖い顔でにらまれている。
テーブルの上には陸軍のマークの入った手紙があった。

「召集通知書だよ」
「なんの?」
「軍隊の」
「だって‥‥ 徴兵義務も無いのに、わざわざ」
「けじめだよ」
「?」
「僕は君と結婚したい。でも今のままじゃ駄目だ。
 ちゃんとした職業に就き、普通に稼いで。普通の社会人になりたいんだよ僕は」

「私は今のままでいいの。 ブロードウェーのスターをあなたは夢見てる。
 でもそれは私の夢でもあるの。だから私のためだったらそんなこと」
「ちがうんだな、それが」
「?」
スティーブは彼女のおなかに手を触れ優しく撫でる。
「君と僕と、それから、この子のためでもあるんだ」

彼女は妊娠したことを彼には隠していた。
ダウンタウンの医者に行き、そっとおろすつもりでいた。
全く気づかれていないと思い込んでいた。

「で、でも、スティーブ」
「実際はここまでは考えてなかったけどね。
 こんな状態で君を放っておいて遠くに行くのはつらいけど、
 志願が受理されたあとに君の体の不調に気づいたんで間に合わなかった。
 まぁお母さんもそばにいるから心配はないし、
 それに今までよりは稼ぎもちゃんとあるし」
彼は軽くキスをして無邪気に笑っていた。

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「それが‥‥ こんなことに‥‥ ほんの一ヶ月前なのに」
婦人はテーブルの上の手紙を見つめている。
「娘を呼んできます」
「今、無理をなさらなくても」
「いえ、あとからでは間に合わないこともあります」

私は婦人が戻ってくるのを待つしかなかった。

ドアが開き、婦人に続いて娘さんが入ってきた。
「さきほどは‥‥ すみませんでした」
「いえ。なんとも思ってませんから」

彼女の視線がテーブルの上に釘付けになる。
「これが?」
「そうです」

床に座り込み、手に取るのももどかしく封を切り、読み始める。
涙をぼろぼろ流し幾度も読み返している。
しまいには手紙を胸に抱きしめて体が前のめりになる。

号泣する声と震える背中を前にし、私はなすすべもない。
婦人がそっと娘の肩を抱き、椅子へとかけさせる。

「ちょっと、いいかしら?」
「???」
涙と鼻水でくしゃくしゃの顔で、娘さんが母親を見つめる。

「あなたのおなかの赤ちゃんのこと」
「?!」

あまりにも私的な話となったので、
席を外すべきかどうか迷って、私は婦人に目で問いかけた。
答えは、ここに居て欲しい、だった。

「それにしてもまぁ、この子は。私が気づかないとでも思ってたの?」

「今、ちゃんとしておかないといけないのよ、こういうことは」
「??」
「だから、あたしにも心の準備が必要なのよ」
「??」
「ほら、おばあちゃん、って急に呼ばれるとびっくりするじゃない?」

「おかあさん‥‥」
「だめよ、その子をどうこうしようと考えちゃ。わかるわね?」


「スティーブはね、出て行く前の晩あたしにこう言ったの。
 『おかあさん。もしも、もしも万が一、ぼくが戻れないことになったら、
  おなかの中の子は生まれても不幸になるから、そのときは』
 ってね」

「あたしは彼の頬を思いっきりひっぱたいてやったわ‥‥」

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「あんたたちの思いってたかだかそんなもんなの?
 そんな半端な気持ちであんたが娘のそばに居たのかと思うと、
 本当にイヤになっちゃうわ。
 あなたたちの子供として生まれることがなんで不幸なの?
 誰がそんなこと決めたの?」

「‥‥でも」

「あなたが今するべきことは、ちゃんとここに生きて帰ってくること。そうよね?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「そうよね?」
「‥‥はい」

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「あたしはねわかってるの。生まれてくる孫の肌の色って、結局どうでもいい問題。
 私の愛する娘とその娘が愛した人の子供なら、絶対に可愛いって決まってるし。
 スーパーマーケットに買い物に行ったら、胸張って、
 『可愛いでしょ? この子』って言うと思う。完璧に孫バカ。
 ただ、いい男のスティーブがヨコにいないのはちょっと残念だけどね」

「じゃ、おかあさん。あたし、この子を産んでも」
「あたりまえじゃない。というより、きっとあなたがそう言うと思ってたんだけどね」
「おかあさん‥‥」

ひとしきり母と娘は抱き合って泣いていた。


アパートを出たところで私は二人に別れを告げた。
「今日は本当に済みませんでした。でも森田さんが来てくれたおかげで、
 ちゃんと娘に話が出来てよかった。本当にありがとうございました」
「わたしからも、本当に。ありがとうございました」

私が雑踏へと入り込んでしばらくして振り返っても、二人はその場で手を振っていた。
夕陽の中、石畳の道路には長い影が錯綜し、見上げた空には月があった。
70年代よりはるかに安全になったこの街が、
あの二人、いや三人にとってやさしく接してくれる街であり続けることを、
私は祈らずにはいられなかった。