Complete Androgen Insensitivity Syndrome


「じゃぁ、これ、中開けて見てくれる?」
俺の差し出した小箱を見て、
中身が予測できたのだろう。
菜月の目は大きく見開かれたまま、
じっとそれを見つめてる。

初めてのデートと同じ大観覧車。
窓の外、夕焼けが空を赤く染め上げていた。
俺たちはしばらくその景色を見つめ、
無言のときを過ごしていた。

そんな静寂の時間をうち破るように、
俺がポケットから出したのは、
紫紺のビロードに包まれた小さな小箱だった。

「わたし…… これ、貰えません……」
菜月はその箱から視線を動かすことなく、
震える声でそう言った。

「貰う資格がないんです。だって………」
さらにうつむく菜月。

「だって、わたしは…」

「完全型アンドロゲン受容体不応……だったよね?」
「えっ?!」
俺の口から出た言葉に、
菜月は驚きとともに顔を勢いよく上げた。
その頬には幾筋もの涙のあとがあった。

「オレ、知ってるんだ、全部」

「ぜ・ん・ぶ?」
「そう、ぜんぶ」

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菜月とは大学で知り合った。
とはいえ、その頃はせいぜい顔見知りという程度。
卒業と同時に会うこともなくなって、
それっきりになるはずの、そんなレベルの関係。

でも、会社勤めして2年ぐらい経ったある日、
仕事の関係で得意先主催のイベント会場に行ったとき、
たまたま菜月も俺と同じように手伝いに来ていて。

2年の月日は彼女を素敵な女性に変えていた。
その日から、ちょっと強引だったけど、
おれたちのつきあいが始まった。

予定外だったのは、俺の心境の急激な変化。
会えば会うほど菜月の魅力に引き込まれ、
いつしか人生のパートナーとして、
見るようになっていた。

だから、先週、招かれて菜月の家に初めて行ったとき、
『自分の将来絵図の中に菜月も入ってます』
みたいなとこをご両親に見せたのも、
俺的には予定の行動だった。

ただ、驚いたのは、ご両親と彼女がそろいもそろって、
そんな俺の言葉に、
一瞬動きを止めて固まってしまったことだった。

オレ、思いっきりはずした……?
とそのときは思ったんだけど、
今から考えれば、彼女と家族にとって、
それはある意味あたりまえの反応だった。

翌日、彼女の母親から電話がかかってきた。
娘のことで話したいことがある。と、それだけ。
ただならぬ雰囲気に、
夕方会社を早めに出て、会うことにした。

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「多分あなたに言ってないと思うんですけど、
 あの子、菜月は、子どもが産めない体なんです」
喫茶店で最初の言葉がこれだった。

記憶がフラッシュバックする。

少し前、
デートの途中で二人で公園のベンチに座ってたとき、
目の前で小さな子どもが転んで、
母親が駆け寄り抱き上げ、
あやしてるシーンがあって。

菜月はそれを見て、
なぜか一瞬寂しげな表情を見せていた。
それは、俺といるときには、
決して見せたことのないもの。
あのとき、彼女の胸のうちに去来したもの……

彼女の抱えたそんな悲しみを、俺は気付かずにいた。
ずっと、そばにいながら。

すごく深い後悔の念が俺を襲う。
なんでわからねぇんだよ、この鈍感野郎!!
トンチキ!

罵倒の限りを自分自身に浴びせかけたあと、
目の前の人に、俺は正直な気持ちを告げていた。

「ずっと、俺、彼女の胸の痛み、
 気付くことさえできなくて。
 舞い上がってたのあるけど、すげぇバカです。
 ほんとに」

「……よかった」
「え?」
「菜月、いい人見つけたみたい」

落ち込んだ俺の目の前にあったのは、
予想外の笑顔だった。
俺が? なんもわかっちゃいなかった俺が?

「娘を大切に思ってくれてるの、十分にわかりました」
「で、でも」
「だてに年齢を重ねちゃいないのよ、これでも」

「さて、こうなったら、
 もっと大変なこと、
 あなたに言わなくちゃいけないわね。
 あの子は多分これだけは、
 自分の口からは言えないでしょうから」

「もし、これから言うことが、
 あなた個人として認められないことなら、
 菜月のことは忘れて、
 あのコとは別な人生を歩んで欲しいの。
 決して私はそのことであなたを非難したりしない。
 だから、そのことだけは約束してくれるかな?」

「えっと、あの、それはいったい、どんな」
「約束して」

「…………はい。わかりました。約束します」

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受精したヒトの卵子は、
子宮の中で最初は女性型で成長を続ける。
胎児が46XY
(46番の染色体がXYの組み合わせでオス型)
だった場合、
8週目に胎児の体内で、
大量のアンドロゲン(男性ホルモン)が分泌される。
これがアンドロゲンシャワーと呼ばれるもので、
その結果全ての細胞が男型めざして、
胎児の体の再構築を開始する。

一方、46XXだった場合は、
8週目のシャワーが無かったのを受けて、
16週目に「じゃ、予定通り女性型でGO!」
となって、女性の体を形成する。

しかし、アンドロゲンを受け取るべき受容体が、
先天的に全く機能しないことが稀にある。
46XXであったなら、それでもなんの支障もないのだが、
胎児が46XYであった場合、遺伝子が男で、
体の全てが女性型へと成長してしまう。
この『女性』には当然ながら子宮も卵巣も無い。

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「生理が始まらないのを疑問に思って、
 あのコを病院に連れて行ったのが、
 14歳のときでした。
 そして『完全型アンドロゲン受容体不応』だと、
 ドクターに告げられました」

「こんなに重いふたつの事実を受け取るには、
 14歳という年齢は幼すぎると、
 私と夫は、そう考えました。
 ですから、このことを告げたのは、
 菜月が17歳になった日です。
 あのコは涙ながらに、
 『なんで?』と私達に問いかけました。
 でも私達にはそれに答える術すらありませんでした。
 親として子どもを救うことも、
 慰めることも出来ずに……
 私はあの日だけは、本気で神を恨みました」

俺は胸をかきむしられるような思いに、
気付けば涙していた。
言葉なんか出ない。菜月の悲しみの前に、なにも……

「あのコはそれでも、自暴自棄になることもなく、
 ちゃんと自分の人生を歩んで来ました。
 ずっと、『普通の』女の子として」

「でも本当の笑顔を見せてくれたことは、
 ありませんでした。
 自分の娘です。私にはわかります。
 私達を悲しませないための、
 精一杯の作られた笑顔なんだって」

「そして…菜月はあなたに出会った」

「今のあのコは、とっても幸せそうです。
 本当の笑顔を、時々見せてくれるようになって……」

「だから……あのコの幸せのために、
 私はどうしてもあなたに、
 言わなくてはならなかったんです。
 自分の責任でもないことで菜月が傷つく前に、
 あの子の親として」

「菜月に無断でこうやってあなたに話している、
 この時間は、もしかしたら、
 私達を信じてるあのコに対する、
 裏切りかもしれません」

「でも、わかってください。
 あのコにつらい思いをさせたくないんです、
 これ以上。
 たとえ課せられた宿命が、
 とてつもなく重いものであっても、それでも」

「あ、あの、お母さん」

「ごめんなさい。ちょっと取り乱しましたね。
 お願いです。返事は今すぐしないでください。
 義務とか哀れみとか、
 そんな感情に引きずられて決断をしてしまったら、
 あなたにとっても、菜月にとっても、
 それは不幸の始まりになります。
 ですから、ゆっくりと考えた上で…
 その上でお返事はいただけますか?」

「……わかりました」

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2日後の晩、俺は彼女の母親の携帯に電話を入れた。

「この間の件なんですが」
「……はい」
「今日、婚約指輪買いました。今度の日曜に渡します」
電話の向こうで息を呑むのがわかる。

「これが二晩考えた俺の答えです。
 これでわかって貰えますよね?」

数秒後、かすかな嗚咽が聞こえてきた。

「いや、ほんとはご両親の前に行って、
 言うべきだとは思ったんですが、
 一刻でも早いほうがいいと思って、だから」

「いえ、電話で十分です。
 正直言うと、あれから心配で眠れませんでした。
 私も、夫も」

「……くどいようですが、でも、本当に娘と」

「絶対とは言いませんけど、
 勘では、
 80年ぐらいこの思いは変わらない気がするんです。
 結構、俺ガンコなんですよ、ガキのころから」

一瞬の間。

「……フフ、まぁ、それだけ長ければ十分ですね」
「ですよね」

「あと、このこと、彼女には言わないでください」
「?」
「いや、びっくりさせようと思って。
 ちゃんと、全てを彼女と話しますから。
 これからのことも含めて」

「……じゃ、まかせちゃってもいいかな?」
「はい、あとは二人で話し合って決めていけば、
 いいことですから」

「いい答えね。じゃ、よろしくお願いしますね」

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泣きじゃくる菜月の手をとり、薬指に指輪をはめた。

「結婚して欲しいんだ、俺と」

さらに大きな泣き声をあげる菜月。
そうこうしてるうちに観覧車が下についた。

いや、泣かせるようなことしてません、
いじめてません。
係員の冷たい視線に、心の中で散々言い訳しながら、
菜月を抱きかかえて観覧車を降りる。

そばのベンチに座った。

「ちゃんと見てくれよ~
 せっかく貯金はたいて買ったんだからさ~」

グスングスンしながらも、
空に指輪をかざし見つめる菜月。
見る見る表情がかわる。
ぎごちないながら、うれしそうな様子が混ざって。
そして微笑とともに俺のほうを見る。

やっぱ、文句なしの女の子だ。こいつ。
可愛いよ、今の菜月。

「これ、結構……したでしょ?」
「値段? あぁ、ちょっと見栄はった。
 CMにならって3ヶ月分。
 だもんで貯金、すっからかん」

彼女の顔に別な表情が浮かび始めている。
なんかちょっと恐い感じの……
え、この人誰? みたいな

「え~っ!!
 ダメだよ、あんな釣りにひっかかっちゃ~
 二人とも給料安いんだから、
 そんなんじゃこのあと大変だよ」

このあと…ですか?

「で、貯金、もうないって?
 え~っ?! ほんとに?!
 あとさき全然考えてないんだね。
 結婚式はどうするの? 新婚旅行は? もう~!
 う~ん。これしかない!
 これから、お金のことは私にまかせてもらう、
 いいよね?」

……えぇ、それはいいんですが、
というか、菜月さん、立ち直り早すぎません?

「で、さっきの結婚の申し込みの答えなんだけど」
いやもう、
俺たち結婚式とか新婚旅行とかの打ち合わせに、
入ってませんでしたっけ?

「答えはイエス。とっても嬉しかった。大好きだよ」
そう言うと、彼女は俺の首に抱きついてキスしてきた。

そんな彼女の予想外の行動に、
ちょっとハイになったのがいけなかった。
ついつい彼女の胸に手が伸びて……

ギリ!
ウォツ イッテェ~
見れば、つねられた手の甲、血がにじんでるし。

「ごめんね、そこまでの心の準備は、
 正直まだちょっと出来てないから、
 だからもうすこし待って、ね?」

「あと、そ~ゆ~こと最初っから外で、って、
 絶対おかしいし」

いやいや、これは俺のフライングでした。
誠に申し訳ない、と、言葉をつくし謝る俺。

「大丈夫。そんなにはお待たせしないから。
 というより……
 わたしが待てなくなる…気がしてるんだけどね」

最後に付け加えられた小声の言葉、
俺はしっかり聞いた。
そしてその恥ずかしそうな表情も、
俺の心の中のメモリーに、
ハートマーク五個つけて保存した。永久保存版だ。

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「じゃ、菜月の心の準備ができたら、
 旅行、行こうか?」
「二人で?」
「そう、二人で」

彼女の母親と話しているときにあとひとつ、
重要な点を俺は聞いていた。
子宮も卵巣も無いが、えっちはできる、という点。

完全型と呼ばれる、
菜月のように受容体機能が0%の場合には、
ほとんどの場合、外性器も、
そして心のほうも完全な女性であることが多い。

おまえは『それ』がすべてなのか?! と問われて、
「いや、それはたいした問題じゃない」
と言い切れない俺がいて。
結局、彼女の母親がもたらしたこの情報が、
俺の最終決断を導き出したのは、
認めざるを得ない事実だ。

そう、彼女には子どもを作る、
っていうオプションだけがなくて、
あとは全部、あの胸とか、顔とか、あとあと……

「すごいスケベ顔ですよ、そこのおにいさん」
おっと~

「ま、なに考えてたか、だいたいわかるけど。
 そのプラン、賛成ですよ、すけべなおにいさん?
 やっぱり、私としても素敵な思い出、作りたいしね」

異論ございません。もう、まったく。

「順序としては、その前に、
 君のとこと、うちの親んとこ行かなくちゃね」
「そだね」

「ふぅ」
「どうしたの?」
「いや、簡単に全部が落ち着いて、
 ほっとしたっていうか」

「……それは私のほうだよ」

「もう、こんな幸せ、絶対手に入らないって思ってた。
 あの日から……ずっと」

たまらなくなって、俺は彼女を抱きしめた。

辛かった過去なんぞ忘れちまえばいい。
俺たちの前には、二人で作る未来があるんだから。

だから……

「お尻で誰かの手がもぞもぞしてるけど、
 今日だけ、許可します」

耳元で彼女にそう甘く囁かれたオレって……
空気読めてない?

  Fin




CAIS(Complete Androgen Insensitivity Syndrome)
に関する補足情報:


CAISは、ほとんどの場合、月経が来ないために検査して発見されるようです。ただ、不妊治療に夫婦で来て、初めてわかるケースもあると聞いてます。

部分的不応症(PAIS)を含むAISが、USAで7000人、日本で2000人と言う情報がありますが、発見された数値なのか推定値なのか、完全型だけなのか、確認はとれていません。