蜘蛛の糸に吊された紙

※注 本作品は『デスノート』の原作本が舞台となっております。
   映画のみご覧になっているかたには設定が分かりづらいことをお詫び申し上げます。

 少し浅黒い肌、一目で混血と分かる光をたたえた瞳、少女と見まがうほどの細く華奢な身体に、黒い修道女服。

 彼女は、過去に民宿だった建物の前に立った。廃墟と化した、それらからは、いつ犯罪者の銃弾が飛んでくるかもしれない、怨霊に取り憑かれるかもしれない雰囲気が醸し出されていた。

 ここには、こんな場所に相応しい人間がかくまわれていた。

 「ごめんください!ごめんください!アメリカのワイミーズから来ました。シスターのケリーと言います。武器は持っていません。寄宿舎寮長のシスター・キムからの手紙をミハエルケールに届けに来ました。開けてください。中に入れてください」

 この場所と状況を理解しないまま、ケリーは引き戸をノックをしながら英語で言い続ける。場所は日本。危険人物のアジト、いや、正確にはテロリストを追う天才的頭脳を持った危険人物の潜伏場所。中にいる者は英語が通じるかどうかも定かでない。何があっても、火に入る夏の虫、自己責任と言われても仕方がない状況であった。

 5分引き戸を叩き続けると、いきなり戸が開き、ケリーは業を煮やした男に引きずられるように中に入れられた。目が慣れてきた。暗闇の中に、鬼のような風体の男がケリーを見ていた。薬によるものなのか普通とは変わった体臭と、煙草と香水の匂いが入り交じってケリーを襲う。むせかえりそうになる。

 「何がエクスキューズミーじゃ。うるさいんじゃ。ここはあんたのような外国の尼さんが来るとこじゃない。アーメンの教会帰れっちゅうんじゃ!」

 男が濁声で威嚇した。

 「ただでさえ、昔の借りにつけ込まれて、外人の怪しいやつをかくまわされてるんじゃ。犯罪者か何か知らんやつのアジトを世話した上に、やりたくもないことに巻き込まれたらもう叶わんわい」

 構わずケリーは英語を話し続けた。恐怖のため早口になり、ますます男は聞き取れない。

 「ワイミーズハウス!ワイミーズハウス!年の頃、中学生くらいの男の子!髪は金髪、身体が細くて常に甘いお菓子を食べ続ける子です!ここにいたら会わせてください!私はその子の保護者の使いです。大人びたことを言える子ですが、この子はまだ大人が保護をする義務があります。お願いです。会わせてください!」

 「うるさいんじゃこのガキ!分からないから帰れっつってんじゃ!」

 建物の奥から若い男の声がした。顔を知られたくないようで、ケリーの見える場所には出てこない。

 「彼女が『スィート』と言った。チョコを指してる。上に知らせろ。」

 階段の上から別の声がした。「聞こえてる!」

 「上へ連れてこい。早くだ!」男が弾かれたように反応した。ケリーを立たせて有無を言わさず階段へどついて誘導する。足元から埃が舞い上がる。

 「ニアは何でこんなぬるいスパイを寄越すんだ?誰からここを聞き出したか吐かせてやる!」

 ケリーはその少年の足元へ投げ出された。探していた少年。どこからかも分からない情報を頼りに、ひたすら使命を果たすために探していた少年。ミハエル、略してメロ。

 二階の部屋に放り込まれた次の瞬間に両腕は後ろに回され、素早く拘束された。驚きに身をよじるだけで、そのケリーの反応は訓練されたものでも何でもなかった。

 ケリーが肩から斜めに掛けていたショルダーバックは、逆さに振られて中の物を全部床にぶちまけられた。男が荒々しくそれらを踏みつける。

 「さすが尼さんだね。十字架!?これ、質入れしたら売れるかね!けっ!ハンカチ、財布、これが手紙ですかね」

 メロは男のすることには目もくれず、手紙の封を黙って開け始めた。男はおびえを隠すようにしゃべり続ける。見るからに、あまり賢さも品格も無い、世の中の明るい場所を歩いていない種類の人間だということが分かる。日本でメロと、奥の部屋から声を出した若い男の二人が目的を果たしやすいよう、無理を押して最低限の足場を用意する協力者として、メロの配下が調達した男であろう。

 「薬!これ何だ?乗り物酔いの薬?飛行機乗ってきたの?パスポート?さすが、英語ばっかり!これ何だ!?」

 ケリーがはっとして顔を上げた。黒い頭巾はもう頭から外れ、背中に垂れ下がっていた。乱れた黒い髪の間から悲しげな目が光っていた。

 「親の写真か・・・・。」ケリーを威嚇した濁声でつぶやいた。汚い手に、それはつまみ上げられた。

 軍服を着た父親らしい男に抱き上げられた、少女のケリー。イスラム独特の、目だけ出る黒いケープを羽織った姿。

 メロが、おもむろに命令した。

 「みんな出ろ」男は3秒でいなくなった。後には静寂が残った。

 「ケリー、まず言っておくが、僕は施設を捨てて、育ててくれた人も捨て、ニアよりも早くキラを殺るためだけに日本へ来た。もう、シスターと言えど敬わない。よってケリーも、万が一ニアのスパイだったら、容赦ない態度を取らせてもらう」

 ケリーは冷静さを取り戻した。両手を拘束されたままで、立ち上がろうとした。すかさず足元まで3センチの場所にダーツが音を立てて刺さった。ケリーは小さな声を上げて驚いてのけぞりながら、後ずさりした。

 「歳」

 メロが聞いた。ケリーはいきなりのことで、咄嗟に聞き返した。

 「えっ?」「歳!」

 「二十歳、です」

 「オレの面倒を見たのはシスター・チャン、チャンばばあ・・・・・。ばばあは死んだ。オレを本気で説得するつもりなら、こんな小娘寄越さなくても、代わりのばばあも修道士も看護士でも何でもいるだろうに・・・。」

 「その理由も書いてあります」

 「あ!?」メロは顔色を厳めしく変えて、手紙をひらひらさせた。

 「これ!?シスター・キムが見た夢で、天使がおめーを使いに寄越せと言ったって!?サンタクロースじゃねーんだよ。これを真に受けて来たって言う?」

 「だから、シスター・チャンの後任でワイミーズに入ったばかりの私が天使に選ばれたのは」

 ケリーを遮ってメロは立ち上がった。血相を変えて叫んだ。

 「オレを助ける気なんか無いっていうメッセージなんだよ!オレが大人しく二番目に収まらないからもう見捨ててやるって言う絶縁宣言なんだよ!オレは誰からも見捨てられる人間なんだ。大人はオレがどんな目に遭ってきたか知っても、オレを見捨てられる生き物なんだよどうせ!たった一人を除いて・・・・・!たった一人を・・・・・。そのお使いに選ばれたお前は何だか分かるか?何だか分かるのか!いいか、聞いて泣き出すなよ、生け贄なんだよ!生け贄!」

 足音を立ててケリーに近づくと、メロは小動物を虐めるようにケリーのあごを乱暴につかんで持ち上げて言い放った。

 「私が天使に選ばれたのは」

 ケリーはあごをつかまれたままでも必死に口を動かして言葉を言おうとしていた。

 「うるさい!黙れ!黙れ!」

 メロは座っていた椅子を蹴り飛ばした。それでも当たり足りずに、暗闇の中で怪しく稼働し続けるパソコンの前を通り過ぎ、ソファの底を音を立てて立て続けに蹴った。それでもケリーは話し続けた。

 「私が天使に選ばれたのは、あなたが幼いときと変わらない気持ちで受け入れたいというワイミーズのメッセージなのです。私を寄越すことで、丸腰と思われるかもしれませんが、それがワイミーズの変わらない愛だと示したいからなのです。あなたは知能が高いかもしれません。今は敬愛する人を失って、悲しみで私の話に聞く耳を持つ余裕はないかもしれません。しかし、神は自分の子として育てたあなたを、手に負えないから捨てようと言うことは決してしません。神がイエスを無力な幼子として地上に送ったように、私も無力で教養もない未熟者としてここへ来ました。でもあなたはワイミーズの子、私達の子です。私達はまだ、あなたに十分神の愛を伝えるという責任を果たしていません。私は丸腰で、全てにおいてあなたよりも弱く、劣っているでしょう。こんな私が神の御意志を持ってきた姿、この愚かな姿が、神のメッセージなのです。」

 「つまり」

 ソファの上から、小さい物がバラバラと床に落ちる音がした。メロの細くて長い脚がソファの背もたれをガン、と蹴飛ばした。相当古いらしく、背もたれは埃を舞い上げながら向こう側へ倒れた。

 「力でもオレを捕まえられない、知能でもオレに敵う者はいない、だから最後に信仰に戻って、ええかっこしながら奇跡を待とうって言うんだろ。都合いい体裁作りなんだよ。ワイミーズだって結局大人の集まりだったのさ。優しい大人は死んでいく。オレの人生はずっとそうだった!ワイミーズも支えてた人間が死ねばあとは他と同じになっただけさ!お手上げなんて言いたくない。自意識が大事、世間体が大事、最後まで見捨てなかったっていう大人の体裁を作っているだけなんだ!だから、もう、見捨てられたんだよ。オレも、お前も!」

 「・・・・・分かりませんか?」ケリーは膝歩きを始め、暗がりの向こうのメロへ近づき始めた。

 「あなたは、見捨てられることを悲しんでいますね?」

 ケリーは、メロが関わってきた事件や行きさつをまだ概要しか知らない。メロの知的水準がどんな計算を生み出すのかも分からない。目の前のメロが何を企みながら、何を計算しながら感情を見せているのかも知らないまま、言葉を紡ぐ。

 「本当にこの世の全ての執着から解き放たれた人は、例えあなたより知能が低くても、全てをあるがままに受け入れることを、もう理解していますよ。シスター・チャンも、病気で余命を知らされたときも愛にあふれていたと聞いています。あなた達、子ども達だけが心残りのご様子だったそうです。今、ソファを蹴っているあなたをシスターはご覧になっています。」

 メロはケリーの胸ぐらを掴んだ。ケリーは恐怖に全身を強張らせながら、信念ゆえに話し続けた。

 「ミハエルが捨てられたのではありませんよ。シスターやワイミーズから離れたのは、メロ自身の心です。寂しければ戻ればいいんです」

 ケリーは苦しさに顔をゆがめながら、恐怖に心まで支配されないよう、自らと闘っていた。

 「何故、ソファを蹴りたくなるのでしょうね。」

 「うるせえ!それ以上ぬかすな!」

 メロは胸ぐらを掴んだままケリーを立たせた。メロよりも幾つかしか年が違わないケリーの背は、彼と同じくらいだった。力は圧倒的にメロが勝っていた。ケリーの細い身体は勢いを付けてソファに投げ出され、古いスプリングの金属音が響いた。ケリーの身体と一緒に飛び跳ねた無数の小さい物体は板チョコレートだった。修道服の裾から、ストッキングに包まれた細い脚が出てきた。

 服の裾を直しながら、それでもケリーは話すことを止めなかった。

 「何故、チョコレートが無いと耐えられないのでしょうね。ミハエル。」

 「その口、・・・・・・きけないようにしてやる」

 「一度見てみたかったんだよね。若い先生の服の中って」

 ケリーの両腕は腰に括られ、それから器用に片腕ずつ頭の後ろへ拘束された。慎み深いケリーは脚を振り上げて抵抗することが出来なかった。

 「でも、実際はババアばっかしで! こんな、こんな・・・・・・」

 独り言とも威圧とも分からない言葉を、メロはぐっと飲み込んだ。

 安物の質素な下着とともに現れたのは、初めて間近で見る女性の肢体と、古い虐待痕だった。

 ケリーが物を言えなくなればそれで良かった。良かったはずなのに、彼の手は止まらず間もなく全てをはぎ取っていた。

 綺麗だった。洗練された二十歳の女性の肉体が目の前にあった。

 メロの頭には無限のイマジネーションと高度な知識だけが入っていた。その年齢からしても実体験だけが足りなかった。かのミステリアスな密通者リドナーは、年上過ぎであり、完璧すぎで萎縮するしかなかった。年も体格も近く、生まれて初めて自由に扱える女性を目の前にして、少年はその肉体の存在感を実感させられていた。

 本当は、銃を向けるつもりだった。予定に反して彼の腕は動かなかった。人を黙らせる方法は脅ししか知らなかった。メロの手は、足元に散らばっていたチョコレートを拾い上げ、包み紙から出して細かく砕き始めた。ケリーの身体が自由を求めて動き続ける。その姿が眩しすぎた。手でチョコレートを砕きながら、仕方なくケリーの身体に自らまたがり、その身動きを封じた。そして、砕いた固まりは黙ってケリーの口に押し込んだ。

 「嫌!」このひと言を最後にケリーの声は出なくなった。チョコを吐き出さないようにするには、テープか布で口を封じればいい。しかし・・・ケリーはメロに組み伏せられた恰好になっていた。メロはそのままケリーを羽交い締めにすると、彼女の口は自分の口で封じた。ケリーのとまどいは直に彼に伝わった。チョコは吐き出されることはなかった。

 知識では知っていた。女性の肝心な場所が、どこにあるかを。

 メロは、脅しで探っているのか、好奇心なのか、自分で区別が付かなくなった。うろたえる自分が許せない気持ちになった。しかし、そこが濡れていることに気づくと、迷いは飛んでいった。ケリーの口からうめき声が漏れ、身体が波打つ。S字を描くように恥じらってくねり続ける様は、高知能のメロがまだ見たことがなかった、大人の世界そのものだった。メロにその自覚はなかったが、彼は感動していたのだ。

 声を出せないケリーは、暗がりの中で無駄な抵抗をしながらメロを見つめていた。この目をどこかで見たことがある。そう、戦争難民が集められる国連軍のキャンプで、何週間ぶりにミルクを飲む孤児達。私を脅しているのに、この子は実は飢えているの? 女性として仕方のない身体の反応を続けながら、使命を忘れないケリーは、頭の一部を冷静にしてメロを見ていた。口に詰め込まれたチョコであごが痛い。吐き出そうとすれば塞がれる。あごに集中すると、脚を閉じ続けられない。

 (いっそ抵抗を止めたい。全てこの子の好きなようにさせてみたい)ケリーの脳裏に一抹の誘惑が走っていった。メロの何かがこの油断を捕らえた。彼の下半身はケリーの脚の間に滑り込み、もう閉じさせなかった。ケリーの入り口が大きく広げられ、メロの指は一気に奥まで入ってきた。

 「おおっ! すげえ・・・これか・・・・」彼は、その年にしては早すぎる知識をつけてしまった。

 壁の隙間から、朝焼けらしい薄い光が入ってきた。細長くなった光の中で、朝方にしては不自然な多さの埃が、ゆっくり落ち続けている。ケリーが光を透かして見る天井は斜めになっていて、屋根裏のような雰囲気をかもし出していた。

 唯一の窓も板を打ち付けられて開かない屋根裏で、ソファの埃は幾度も幾度も闇の中に舞い上がった。ソファは土の匂いがする毛布で覆われていたが、ケリーはとてもそれを剥がして身体に巻く気にはなれなかった。やっと与えられたシーツで身体を隠しながら、ケリーがまどろんだのは何十分前のことになるのか。

 浅い眠りから目覚めたケリーは、声に出さず、唇だけを動かしていた。

 『われらがひとを ゆるすがごとく われらのつみを ゆるしたまえ・・・・・』

 『てんにまします われらのちちよ みなのとうとまれんことを みくにのきたらんことを・・・・・』

 ケリーはメロのためというよりは、自分を落ち着かせるために祈りの言葉を暗唱していた。ケリーの認識では間違いなくケリーは今、暴行を受けたはずであるが、不思議に自分を不幸で悲惨だとは心から思えなかった。そんな自分をいさめていいのか、流れに任せればいいのか分からなくなった。

 寝息に変化があったのだろうか、メロはケリーの目覚めに気づいたらしかった。

 「ケリー」

 チョコレートのパッケージを開ける音をさせながら、パソコンの前に座っているメロが話しかけた。

 「ひどい目に遭ってきたようだな。」

 メロは、ケリーの持っていた父親の写真とパソコンを見て言っているようだった。既に身辺調査を終えたらしい。

 「戦争。・・・・・イラク戦争。」ケリーは思わず素に戻って答えていた。使命を忘れたわけではなかった。

 「ちえっ。スパイじゃなかった」

 パソコンのキーの音が静かに鳴り続けた。

 「暴行初体験にしては、パニックも解離症状も起こさない。スパイにしては力も頭も悪すぎると思った。」

 それではあなたはいつ済ませたんですかと聞いてやりたくなったが、ケリーの口は意に反して閉じたままだった。

 「父親はケリーを実家に預けて軍に志願、アメリカとの戦闘で死んだ後は、親戚をたらい回し。母親が日本人。行方不明。ケリー、日本に来た理由があった。キムばばあは夢なんか見たわけじゃなかった。ケリー、母親の話はどこまで聞いてる?」

 「・・・・・・・・聞いたこと、無いわ。親戚から、“ゲイシャの子”って冗談交じりに言われたことがあるだけ。ゲイシャが何語なのかも知らなかった。」

 「風俗嬢だった時期もあるらしいぞ。でも店をもっとゴージャスにして、銀座って場所で、もっと高級なゲイシャみたいになって、金持ちと結婚して、イラク人との子は・・・」

 笑い混じりで話していたメロは、思い直したように言葉を止めた。話題をケリーの情報に戻した。

 「イラン・イラクの幾つもある民族の中から、国連軍に反発心を持つ民族が、日本の血が入っているお前をことあるごとに虐待した。親戚は守ってくれなかった。精神を壊して夢遊病になって危険地帯を歩いているところを、国連の医師団に保護される。アメリカの小児病院が引き取り、精神病症状が治った頃、看護したシスターに付いていって、修道女になる。これは今のオレと同じ歳だった。そこで通信教育で学校を卒業、か。で、タイミング良くチャンばばあが死んで、後任にワイミーズに派遣されたというわけだな?」

 壁の隙間から入る朝日が少し強くなってきた。

 ケリーは、感情を無くした人形のように上半身を起こした。

 メロはパソコンから目を離した。

 「ケリー、天使がバックに付いてるって聞いて、このオレを本気で救えると思っただろ。それも違う。記憶が無くなるほどの辛い経験をした者同志は、統計的に気が合いやすいんだよ。ただの心理学的な反応に過ぎない。世界中で証明されてる。特別な事じゃない。」

 ケリーの腕の拘束が、切れて膝の上に落ちた。ケリーが手に取ってみると、その切り口は少しの繊維を残して切れやすく細工してあった。

 「・・・ありがとう」ケリーはそう言った後、自由になった手で唇を触った。口に詰め込まれたチョコレートは時間が経つと溶けて流れ出した。口から溢れたそれは、何度も何度も少年の舌で舐め取られたのだ。余韻が無いと言えば嘘になる。

 「あ、思い出してる? でもオレとはもう無理。違う相手とすればいいんじゃね? ・・・・悪くなかったけどね。恋愛感情、・・・・・抜きで」

 背伸び中のメロの目が激しく泳ぐ様を、ケリーは放心のさなかでも冷静に見ていた。

 ケリーは静かに話を戻した。

 「今、死に神の、持ち物を、扱っていると聞きました。」

 「それが?」メロは、こともなげに言い返した。

 「一度使った人間は、魂が天国へ行けなくなるのですか?」

 「ああ、それ。天国へも地獄へも行かない。消滅する。」

 「ああ神よ!何と悲しくあわれな話でしょう!何故死に神がこの世の人間に触ることを主はお見過ごしになったのですか!」

 ケリーはシーツを握りしめ、天を仰いでオーマイゴッド!と嘆いた。そしてメロに向き直って話し出した。

 「偉大な先輩のLを敬愛していたことを知っています。歴史上類を見ない凶悪犯罪者を追っていることも知っています。でも・・・・人は、正しいことをする途中にも、神を見失うことのある生き物です。」

 「・・・・だから?」

 「死に神の物に関わるのを、もう止めましょう。」

 「・・・・・」メロは沈黙した。ケリーは話をするたびに自分の使命を思い出すようで、ソファの上にいても背筋が真っ直ぐに伸びてきていた。

 「過ちは、詫びるのです。大きな勇気が要りますが、すべきことは単純なのです。私達ならまだそのお手伝いが出来ます。心を清らかに、人を信じていた頃の気持ちに戻して、神に助けを求めるのです。悔い改めて主に付き従った人間は、どんな大きな罪を背負っていても、他の者に石つぶてを投げさせることを、神はしません!」

 メロは何も言わずに、首だけ動かしてケリーとは反対の壁を向いている。

 「死に神でも、悪魔でも、神の許し無くば何者にも指一本触れることは出来ません。ミハエルは、最近出てきた凶悪犯罪者が流している事と、主イエスが2000年言い続けている御言葉と、どちらに信じる価値があると思っていますか。」

 「・・・・・何、お前、オレに何もしないで天国行っとけって言いたいの?」Lに会わせる顔が無い、オレが信じるのはLだけで、Lの意志を継げるのはオレと、ニアしかいない、という言葉をメロはあえて飲み込んだ。

 「・・・・神は、人が生きるときに用意しています。神の道を見つけるために、学びを導いてくれる人との出会いを、用意してくださっています。学びは、神から贈られた、愛です。学びと挫折は交互に来るものです。挫折の中には、気づき、という希望が入っています。だから、挫折も、愛なのです。」

 ケリーはシーツを身体に巻き付けて、メロの側に歩み寄った。そして彼の前に跪いた。

 「Lも、ニアという子も、あなたが神の元へ歩めるように用意された、神の道しるべです。Lも、シスター・チャンも神のお側であなたの心が動くのを、最後の可能性に賭けて、お待ちしているでしょう。そして、神が最後にミハエルに贈るメッセージとして使わされたのが、私です。私がこうしてミハエルにお話しすることで、あなたは赦されますよ、死に神の持ち物を触ったあなたも赦されますよ、と神はお伝えになっているのです! 死神の存在をミハエルは直に見たんですよね? なら対極にいる神様の存在も、これで確かに示されたということなのですよ! 人としてこれ以上の恵みがありますか!」

 メロの心で二つの声が語り合い始めた。

 (何を聞いているんだ。一番自分で分かっているだろう。キラを追いつめられるのはこのオレと、ニアだけだ。そう、マットもいる。オレ達はキラと対決する運命に生きている。この命、賭ける場所は他にない。シスター・ケリー、こいつは滑稽なくらい無意味なタイミングで寄越された、ただの生け贄だ。)

 (Lに会いたい・・・・・。勝負を止めることで、いつか再会できるなら・・・・・)

 30分後、メロはケリーに服を着せ、母親の居所を書いたチョコレートの包装紙を強引に押しつけた。紙を破るケリーに振り返ることもせず、行動開始をした。

 人の気配が無くなった、メロ一味のいた廃墟。一つを除いて全てが元のままに戻された。

 ソファの上から、土臭い毛布のみが持ち去られて消えていた。

 後日、メロ一味をかくまった男が、銃で暗殺されて数日経ってから発見されたニュースが流れた。銃弾は日本の物ではなく、男が過去に所属していた暴力団関係者が事情聴取を受け始めた。キラ関連のニュースに消されて、ほとんどの視聴者が気づかない報道であった。銃の発砲に巻き込まれて、アメリカ国籍の修道女が亡くなったことが言い添えられていた。

 ニアからの情報ももう無く、メロの行方を聞くためこの男を探し出し、ケリーが接触していたのかどうかは、分からない。

 持っていた聖書の中に、破れたチョコレートの包装紙がテープで繋げられて挟まれていた。包装紙に書かれてあった住所から、書かれていた人物が探し出された。今や、財界の有力者の妻であるケリーの母親のことは、ニュースはもちろん、週刊誌の片隅に載ることも無かった。

 アメリカに運ばれたケリーの棺桶には、包装紙が挟まれたままの聖書が入れられ、埋葬された。使命を終えたケリーの顔は、死相とは思えないほど幸せに輝いていた。

 ケリーの墓の隣には偶然、日本から移植した桜の木が立っていた。

 その桜の木に蜘蛛が巣を張った。

 さわやかな風に運ばれて、小さな紙切れが飛んできた。それは蜘蛛の巣にしがみつくように貼り付いた。

 その紙切れは、あの包装紙だった。メロの筆跡で字が書いてあるそれは、蜘蛛の糸に絡まりながら、天を仰いでいるかのようだった。ハリケーンが来ても、大雪が降っても、その包装紙は落ちることなく、既に巣の形を失った蜘蛛の糸に、しぶとく力強く吊されていた。

 包装紙は待っているかのようだった。天使が、蜘蛛の糸を引き上げてくれる日を。

 終わり





ここまでお付き合いいただいた方に、ちょっとおまけ  天使の祝福を!

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