夕方。
会社の帰り道、駅を降りたところで、薫はいつも俺を待っている。
今日もまた、まだ6歳の息子の薫の手を握って、ゆっくりと商店街を目指す。
買い物を僕がするようになってから、まだ日は浅い。
料理の本を3冊買った。子供の喜ぶおかず集、Vol.1からVol.3。
「おっちゃん、牛肉…数十グラム」
肉屋のおっちゃんは、いつもカオをしかめてくれる。
「数十グラムって、ジュンちゃん。何つくるきだい。」
子供の喜ぶおかず集のページを指差して、苦笑い。
「ここに一人分50グラムって書いてあるんだけどさあ、こいつと僕と、3歳の赤ん坊だったら、何グラムになるんだろって思って。」
自分でする買い物は、まだ慣れない。
おっちゃんもうなり始めると、いよいよ奥からおばちゃんが出てきた。
「まったく。なんだかねえ。すごく間抜けに見えるね、あんたたちは。」
あきれたよ、と笑って。
「あたしにまかせなさい。」
おばちゃんは、すごく頼りになる人である。
薫はちょこんとおばちゃんの横に立って、一緒に腰に手を当てて、決めのポーズ。
商店街を歩く。夕飯の買い物をしにきたお母さん達の間を縫って。
君がいなくなってからも、俺達はがんばっているよ。
そっちは、元気かい。
俺はちょっと、不安です。
…寂しがりやだからなあ、君は。
半透明のアーケードの向こうには、オレンジのそらが広がっている。
薫の手を離さないように、ぎゅっと強く握った。
おぼえてるかい?
はじめてのデートは、この商店街だった。
待ち合わせは松岡さんの八百屋の前だった。
初デートから、俺は20分遅れの大遅刻を飾った。
『遅いよ。』
『同感。』
小さな小さな。それはもう潰れそうな映画館で、白黒の映画を見たよな。
「面白かった?」と、聞いたら。君は。
『全然?』
なんて。笑顔で言っちゃうんだもんな。
お昼ご飯は、駅前の立ち食いそばだった。
立ちっぱなし、歩きっぱなしで疲れていたのに、立ち食いそば。
何も考えていなかったから、デートは散々だった。
商店街からの帰り道。お茶屋さんでソフトクリームを買った。
あれだって、もうやぶれかぶれだったけど、君は。
本当に嬉しそうに笑って、『ありがとう』って。
公園のベンチで、バニラソフトを食べながら、いろいろなことを話したっけ。
不思議と映画館よりも、立ち食いそばよりも、喫茶店の時よりもたくさん話した。
あの時はじめて、僕は二人の距離に気がついた。
飾り気の無い二人だったから、こんなデートで十分だったんだ。
『楽しかった。』
そう言って君は、僕の唇にキスをした。
はにかんだあの時の笑顔。笑い話のはずなのに、今はもう笑えない。
薫の手を握りながら、歩みを止めた。
あの時のお茶屋さんがあった。
なぜか目頭が熱かった。
「バニラソフト、二つ。」
商店街の帰り。
河原の道を、キミとふたり歩いた。
片手に、バニラのソフトクリームを持って。
あの時と、景色は同じに見えた。
ソフトクリームで口の周りを白くした薫の笑顔に、君を見つけた。
家に帰ったら、薫と、葵と、僕と君の、4人分のミートオムレツをつくろう。
一生練習したって、きっと君の味には近づけないんだろうな。
でも。いつまでも見守っていてくれるだろう?
君と過ごしたこと、君を愛したこと。
たくさん悲しんだけれど、後悔なんかしていない。
君がいなくなってからも、俺達はがんばっているよ。
そっちは、元気かい?
俺はちょっと、不安です。
…寂しがりやだからなあ、俺は。
FINE.