逃げ恥 スピンオフ 百合&風見


百合の手は風見の胸にあてられ、必死で突き返そうとしている。
戸惑った風見は百合の両足の間で自らの腰を進めるのをやめ、百合の顔をじっと見つめた。

「どうしたの?」

その言葉に、百合は自分が無意識にしていた行動に気づく。

同時に、風見も、先ほどから彼女の口から漏れ出ている「い」という断続的な言葉の意味に、ようやく思い至る。

「もしかして…」

百合はあまりの恥ずかしさに両手を顔に押し当て、やっとのことでうなづく。

「で、で、でもね、これはたまたまというか、特に貴重品として守ってたとか、そういう意味では」

混乱した彼女のセリフは、彼の唇が重なったことで中断された。

「可愛いな、百合さんは。でも今は黙ってて」

百合の頬が赤く染まる。

それを見届けた風見は中断した渇望の動きを再開する。

百合が、あまりの痛みに枕を乗り越えて逃げようとするのを、両肩ごとハグをした風見がそれを許さない。

そしてその時はきた。

気を失いそうな痛みとともに自らの心をうめつくした感情に、百合はただ驚いていた。

この男を、このぬくもりを離したくないという強い思い、そして切なさ。

すべてが終わり、男の腕枕の中で素肌を接してまどろむ。
百合にはなにもかもが初めてのことだった……




「百合さん、起きて」

呼びかける声が遠くから聞こえた。
朝陽の中、眠りの国から徐々に引き戻されると現実が目の前にあった。
想定外の至近距離に風見の顔があって、自分をじっと見つめている。

インパクトの強すぎる状況に思わずギョッとしてしまう。

「そんなに驚かなくても」
固まった百合を見て彼が笑う。

「え~、あの~、起こしちゃったのはわけがあって、
 ちょっとごめんなさいを言わないといけないんだ、百合さんに」

「きのう、あまりに百合さんが可愛くて、
 あと、前に言ったことがやっと実現して」

……抱きたいとかそんなこと、前に言ってたあれか……

「で、避妊するのわすれちゃってそのまま……」

子犬のようにおびえた目で見上げるイケメンのたたずまいがあまりにアンバランスで、
百合は小さく笑ってしまう。

「大丈夫よ。もう49才だし、たぶん頑張っても無理だと思うし。ね?
 あ、あと、もうしばらく、あの、生理、来てないから、全然心配なんて」




二人で同じ朝をむかえた日から、ふた月も経たないある日、
風見が仕事を終えて家に戻ると、『先に帰る』と連絡をくれた百合の姿が見えない。

「なんだろ、買物か?」

そのときどこかで音がした。トイレを流す音、ドアを閉める音。

「おかえりなさい」
ダイニングに入ってきた彼女の顔はいつになく青白い。

「百合さん顔青い」
「うん、わかってる」
そう言いながらしんどそうに椅子に座る。

「熱とかは?」
「えっと、そういうのじゃない……っていうか」
「?」

「……こども」
「えっ?」
「こどもが出来た」

無反応になった男を見ながら彼女は続ける。

「わたしだってびっくりしてる。まさかね、って。
 でも昼に病院に行って確認した。間違いない」

「でも、風見君は心配しないで。
 せっかく授かったんだからちゃんと独りでも産んで育てるけど、
 あなたに迷惑はかけない。それなりに貯金もあるからなんとかなる」

「でもね…不思議なの。
 赤ん坊ができたらや、っぱり自分は女なんだなってつくづく思った。
 だって、この子が、なんかとっても大事なんだよね。
 自分の命よりももっと」

少しの間、ダイニングを沈黙が支配した。

「あ、ごめん。具合悪くてごはんまだ作ってなかったからこれから」
立ち上がろうとする彼女を男が制する。

「いやいい、今夜はぼくが作るから座ってて」
「でも」
「いいから」

夕食を待つ時間。
百合の頭の中では、いつもの仕事と同じく、
考えられる限りのスケジュールが構築されていた。
出産と育児に向けて、すべてを網羅するフローチャートとともに。




「ただいま~」
百合が帰ると既にそこに風見は待っていた。

ゆうべ妊娠の事実を告げ、風見に迷惑をかけることなく子供と二人で生きていく決意も話した。

ただ、このあと自分たち二人がどういう形で生きていくのかは、まだわからない。

形だけでも共に暮らすのか、別々の人生を歩むのか。
どちらにしても、しっかり子供を育て、不幸なんて感じさせない、
その決意に揺らぎはなかった。

彼女の前にあるのは陽のあたる明るい未来。
たとえこの男とは共に暮らせない結果になろうとも、
今日までの日々が素敵な思い出になることには確信があった。
子供と二人だけで生きていくに十分な、そんな記憶。

「座って」
うながされるままテーブルに着くと、そこには一枚の紙があった。

そのタイトルを見て彼女は驚く。

その茶色の紙、婚姻届には、風見の名のほかに、
証人として、風見の同僚の沼田と日野の名が既に記入されていて、
それぞれの印鑑も押してあった。

あとは彼女がサインして押印すればいいだけ。


「風見くん、あの、きのうわたしが言ったことを」
「うん、ちゃんと聞いた」
「17歳も年上だし、来年50歳だし」
「知ってる」
「責任とってほしいとかそんなの全然」
「だよね」
「だったら」
「とりあえず、ぼくの話を聞いてくれる?」

「え、あ、うん、どうぞ」
男の迫力に彼女は口をつぐむ。

「きのう百合さんから妊娠を告げられて、ちょっと、
 頭の中で、百合さんと子供とぼくの三人がいる景色、思い浮かべてみたんだ」

「そしたら子供をはさんで百合さんとぼくと三人で手をつないで、
 僕のもう片方の手にはスーパーの袋がある、そんな絵が見えた」

その言葉とともに、百合もつられて想像する…… 同じ景色があった。

「前につきあっていた女性とは、
 二人で暮らす生活すら想像できなかったんだ、ぼくは。
 でもゆうべ、百合さんと子供の笑顔がその景色の中にあって、
 これは正解へと続く道なんだって、わかっちゃんたんだ」

「……そっか」
「うん。父親になるんだって、そして夫になるんだって、そういうふうにね」

「ということで、百合さん、ぼくと同じ人生歩いてくれますか?」
立ち上がった風見は彼女の隣に立ち、
まだ膨らんではいないそのおなかにそっと手を当て、言葉を続ける。

「この子と一緒に」

「……はい」
彼女は署名し、テーブルの端にあった印鑑を押す。
すっと押し返して男の手元に滑らす。

「でもね~ 『なくても困らないものをわざわざ買う?』とか言ってた人が、
 こんどは『父親になります』とか、
 あなた、この何か月かでどんだけの回数変身したの?」
「そうだね。でもそれ言ったら『甥っ子として』というセリフで、頑なにぼくを…」

つかのまの沈黙のあと、

「この記憶は封印しようか?」
「そうだね」

ふたりは合意した

「でもやっぱりたいへんだなぁ~ この子生まれるとき私50歳だもん。
 そっからのママさんスタートは出遅れ感が半端ない気がする」
「まぁね~ でも昼に調べたら50歳の出産は年間50人くらいいるんだって」
「じゃ、なんとかなるかな?」
「たぶんね」

初めて体を重ねた日に、無理やり自らの命の炎を灯したからには、
絶対生まれてくる気だろう、この子は。心配は不要だ。

口に出すこともなく二人は同時にそう思う。

そんな風見と百合を、部屋の暖かさがそっと包み込んでゆく。

Fin


初出 bbspink エロパロ板 逃げ恥スレッド 2018/01/02